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台北①[2023.11.2]

台湾2日目。こちらはやはり暑く、ホテルの室内は冷房がついている。どこに冷房が設置されているのかよく分からないのだが、やや寒い。室温はフロントの方で管理しているのだろう。

ホテルの朝食はモスバーガー。ホテルのすぐに近くに店舗があるので、そこから宿泊者の数だけ仕入れてきているのだろうか。モスバーガーと言えば聞こえはいいかもしれないが、一番安いやつだと思う(失礼)。

ホテルのラウンジで食べる。備え付けのテレビはずっと半導体の話をしている。半導体はどんどん薄くなっているが、これ以上薄くなるとどうなるのですか?と聞くインタビュアー。分子レベルの戦いになるでしょう。おそらく、このままではいつか台湾は半導体の勝負に負けます。と答える研究者…

午前は故宮博物院を見て回ることにした。淡水信義線で北に5駅。士林駅からバスが出ている。すごく気持ちの良い天気だ。半袖で十分。

バスの中は観光客で一杯だ。とくに東南アジア系の人たち(?)が、陽気にわいわいと会話をしている。揺られること20分ぐらいだろうか。故宮博物院前に到着。まだ開館前だった。

並ぶかと思ったが、スムーズに館内に入ることができた。大陸の陶磁器、青銅器、書画から硯まで、あらゆるものが展示されている。特に陶磁器が系統立てて紹介されていたので、ここでお勉強のまとめをしておこう。

大きなパネルには「陶磁器は文明の象徴です。」と書いてある。そうなんですか…!高校で世界史を習ったときは、なんとも思っていなかったが、こうやって書かれると見る目が変わる。博物館の良いところは、教科書とは違った視点で物事を整理してくれるところだと思う。例えば、中国の絵画は3種類あり、人物画・花鳥風月・風景画である、といった風に。話を磁器に戻そう。

宋代(960−)には磁器の焼造が全国に広まっていた。特に南部では景徳鎮が窯場として知られるようになる。景徳鎮の白磁は青みがかった白だったようだ。この頃の陶磁器は素朴な色でシンプルな形のものが多かった。皇族や貴族だけでなく、平民も手に入れることができたようだ。

明代(1368−)に入ると陶磁器は国家事業となり、景徳鎮は代表的な御用窯(官窯)になる。文化産業を通じて皇帝の権威を強めるという政策だったのだろうか。窯には政府から監督が遣わされ、一定の品質と生産量が保たれるように。ここに、500年に渡る官窯の制度が確立された。とはいえ、明末には管理にゆるみが出て、作品もマンネリ化したようだ。一方、民窯でも陶磁器を作っており、官窯とは品質や生産量、窯炉の規模や工房の運営方式も全く違っていた。

清代(1644-)になると皇帝が陶磁器事業の主導権を握る。職人の待遇も改善し、康煕・雍正・乾隆の最盛期には最高級の官窯作品が生まれた。康煕帝の時代はトライアンドエラーを重ねたようだが、雍正・乾隆にかけて皇家専用のオリジナル作品となった。それ以後は官釜の監督や管理を地方に任せ、風格が徐々に薄れる。

最盛期を過ぎると官釜の監督は地方に任せきりとなり、風格が徐々に薄れる。明末にしても清末にしても、内憂外患で陶磁器どころではなくなるのだろうか。その度に管理が杜撰になって官製陶磁器の質が落ち、民窯が台頭するという流れが繰り返されているようだ。

太平天国の乱(1851年)を経て、咸豊帝の側妃であった西太后が権力を握ると、陶磁器の焼造に再び力が入るようになる。鮮やかな色使いで極めて華麗、と説明されているが、実際そんな印象を持った。西太后期の作品がずば抜けて斬新なのである。

ラストエンペラー・宣統帝の退位と共に官釜も終わりを迎えたが、民窯はそれ以降も盛況を保ったようだ。

展示品のパネル。タッチすると説明が出てくる。

2時間ぐらい色々見てまわって、博物館の外に出た。故宮博物院は、博物館を何個も集めたようなところだった。展示をいくつもやっているような感じ。

他にもいくつか展示中の建物があるようだが、午後は高雄に行く予定なので、バス停に向かった。


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