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鎌倉[2023.2.12]

今回は鎌倉・上野・日光の旅。一番の目的は鎌倉五山と東照宮。

1日目は朝7時の飛行機で羽田空港へ。新幹線で横浜まで行くよりも飛行機で羽田→電車で横浜の方が圧倒的に安いですからね。

羽田空港に来たのは初めて。京急蒲田と大船で乗り換えて10時過ぎに鎌倉着。鎌倉観光は北鎌倉から鎌倉まで降りていくコースと鎌倉から北鎌倉まで上っていくコースがある。まず鶴岡八幡宮を見たかったので、鎌倉からスタートすることにした。

鶴岡八幡宮はもともと前九年合戦で源頼義が平忠常に勝ったことを祈念して建てられたもので、今とは違う場所にあった(由比若宮社)。頼朝は東国の武士を集めて鎌倉入りしたあと、すぐに社を現在の地に移している。

鳥居をくぐると左右に源平池と呼ばれる池がある。左が平氏の池、右が源氏の池となっている。左の池には島が4つ(死)、右の池には島が3つ(産)配置してある。

八幡宮を出て坂を登り、建長寺へ。これは5代執権の時頼が1253年に造った臨済宗系のお寺で、鎌倉五山の第一位。住職には南宋から蘭渓道隆が呼ばれて就いている。

三門からカッコイイ!ウィキペディアには「柱などの各種部材が太くて豪快」とあるが、その通りだと思う。柱と柱の間にも組み物を入れるのを詰組と言うらしく、禅宗様の建築物によく見られるとのこと。

仏殿もどっしり構えている。通常の禅宗の仏殿とは違い、四方向へ勾配を持つ寄棟造。中には地蔵菩薩が祀られている。

法堂というのは禅宗以外のお寺で言うところの講堂のことで、上層は前後に方向に勾配を持つ切妻造、下層は寄棟造からなる入母屋造となっている(ウィキペディアさんお世話になります)。

建長寺の中を一通り回って、続いて鎌倉五山第二位の円覚寺へ。広いですね。こちらは8代執権時宗がつくったもの(開基)で、開山は無学祖元。こちらも南宋のお坊さんである。舎利殿は禅宗様の代表的な建築で、軒の強いそりが特徴的。ただかなり遠くからしか見れなかったので、日本史の資料集に載っているようなイメージとは少しちがって見えた。

離縁状で有名な東慶寺も見て、もう13時頃になるので昼ご飯。観光地なのでどこも高いような…どこで食べるか決められず結局鶴岡八幡宮の参道まで戻ってきてしまった。この時間になるとメチャクチャ人が増えてる。参道が若者で一杯になっている。太宰府を思い出した。

結局きつねそばをいただきました。コシがあって美味しかった。

ケータイを充電したいのと、午後の行程を考えたいのとで鎌倉駅前のカフェに入りました。コーヒーを飲みながら行き先を探す。高徳院と長谷寺に決定。こちらも歩きで行けそう。

道中で古本屋発見。欲しかった本を2冊発見したので買ってしまいました。この日はとにかく天気が良い。ぽかぽかしてコートはいらないぐらいだった。

長谷寺に到着。長谷寺と言えば奈良のイメージがある。伝説によれば8世紀初頭に造られた2体の観音像のうち、1体が奈良の長谷寺に、もう1体が相模に流れ着いて鎌倉長谷寺の開創につながったとのこと。


写真撮影は禁じられているが、本尊の十一面観音菩薩(阿弥陀如来)は圧巻。いつまで見ていても飽きることがない。

観音ミュージアムで観音様を見て、高徳院に向かう。露座の大仏って浜辺にあるのかと思っていたが、全然違っていた。

鎌倉大仏もデカい!国内有数の銅でできた大仏らしい。これも阿弥陀如来なのね。長谷寺の十一面観音と同じでいつまでも見ていられる。

鎌倉大仏をあとにして、由比ヶ浜を見て駅に戻ることにした。資料集には鎌倉は正面は海、三方は山に囲まれた自然の要害であるといった趣旨のことが書かれていたと記憶している。その由比ヶ浜を一度見てみたかった。海に近づくにつれて強い風が顔に吹き付け、目に砂が入る。

18時頃駅に戻り、ホテルのある平塚に向かった。ホテルで荷物を置き、駅前の商店街で晩ご飯を食べて一日目終了。



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