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台北②[2023.11.4]

台湾最終日。今日は遠出しないので、朝は比較的ゆっくりだ。昨日選んでおいたハンバーガーが届いているので、ホテルのロビーで受け取り、ラウンジで食べる。今日は中国の海洋進出に関連する映像がテレビに流れている。

コーヒーを飲み干し、部屋に戻って荷物をまとめた。エントランスに降りて、チェックアウトを済ませる。4日間お世話になった。みんなとても親切だった。

14時台の飛行機で帰国するので、12時すぎに桃園空港に戻らければならない。それで最終日はホテルからも近い台北を観光することにした。

4日間乗り降りした中山駅。帰国した今も、淡水信義線の電車接近メロディをYouTubeで聞いている。

乗ってから逆方向の電車であることに気づき、次の駅で引き換えした。時間の余裕はあるので、何も焦ることはない。

やってきたのは中正紀念堂。蒋介石に対する哀悼の意を込めて建てられた。台北から2駅南の中正紀念堂駅にある。

なかなか圧巻である。9時開館で、まだ空いていなかった。中学生ぐらいの子たちが、建物の周辺を走っている。クラブ活動かな?

開場。観光客が入り口に押し寄せる。修学旅行か校外学習か分からないが、中学生や高校生も多い。

中学生に混じって蒋介石の席座像を撮る。このあと衛兵の交代式が行われた。衛兵たちが声を張り上げ、緊張した空気が張り詰める。

下の階は資料館になっている。蒋介石の生涯に関する常設展と、「自由的霊魂vs.独裁者」という言論の自由に関する企画展。

戦後の戒厳令下で痛烈な国民党批判を行っていた週刊誌に『自由時代』がある。本で初めて知ったのだが、その主催者である鄭南榕は87年に数千の聴衆を前に台湾の独立を掲げ、熱弁を奮った。公然と台湾の独立の主張を表明したのは、彼が最初だった。

鄭は検察から出頭を求められたが、拒否。私の体を捕まえることができない者は私の遺体を捕まえるしかないと主張し、強制連行を拒んで焼身自殺を遂げた。

これまで国民党といえば共産党と対をなす存在ぐらいにしか思っていなかったのだが、旅行を通してだいぶイメージが変わった。今日の台湾人と外省人の対立は、1947年の二・二八事件に大きく由来する。官憲が市民に対して暴力を振るい、群衆はデモを行ったが、国民党政権はこれを弾圧。当時の国民党政権は党が国家よりも上、したがって軍も国家の軍ではなく党の軍であり、一党独裁体制であった。

1988年に総督となった李登輝は初の台湾人総統であり、民主化改革に努めた。2000年には民進党の陳水扁が総統になるなど、民主化の動きは進んでいる。ただ、中国の習近平主席はいずれ台湾を統一すると主張。武力行使も辞さない姿勢を見せている。

最後だし、何か美味しいものを食べて帰ろう。近くに有名な肉餅の店があるらしい。実は、中正紀念堂に来る前に先に行ってみたのだが、恐ろしい行列ができていたので後回しにしていた。

再びやってきたのは10時過ぎだが、まだ長蛇の列ができている。他に見るものもないので、強い日差しを我慢して並ぶことにした。

1時間後。ようやくレジの前まで来た!

焼きたてで、外はカリッと、中はジューシーで非常に美味しかった。1時間並んだ甲斐がありました。

タクシーを捕まえ、台北駅へ。そこから電車に揺られて桃園空港まで戻った。

旅行記はここで終えるが、南の温かい気候と、台湾の人の優しさに包まれ、非常に楽しい4日間になった。最終日、台湾を離れるのが惜しいぐらいだった。そんな気持ちになる旅行も多くないように思う。きっとまた来るだろう。

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