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台南②[2023.11.3]

さて、次に向かうのは旧台南県知事官邸である。台湾文学館から15分ほど。それほど遠くはない。

この建物は日本の皇族が台湾に来たときの宿泊場所でもあった。実際、1923年には後の昭和天皇である裕仁皇太子が泊まっている。ギシギシと音を鳴らせて2階に登ると、当時の写真が展示されているほか、食卓の様子が再現されている。意外と中はこじんまりとしていた。

夕暮れまで時間を残して、残るは台湾歴史博物館である。昨日訪れた故宮博物院は中国にまつわる博物館なので、台湾の歴史に触れられるところに行きたいと思っていた。ただ、台湾歴史博物館は台南の中心部から少し離れたところにある。最寄り駅は台鐵の永康駅だが、駅からも行きにくい。

台湾は今日も暑く、歩くだけで上半身や足のすねから汗が吹き出してくる。とりあえず台南駅前のバス停に来てみた。時刻表を確認するも、めぼしいバスが来る気配はない。

こうなったらタクシーの出番である。意外と現金が減っていてお金が足りるか心配だったが、だからといって行くのを諦めるわけにはいかない。駅前でタクシーを捕まえ、博物館の住所を伝えた。運転手の髪はボサボサで、今回こそお金を巻き上げられるのではないかと不安になったが、それは杞憂だった。運転は荒いが、目的地に着くとにこやかに送り出してくれた。

入口からもなかなか遠い。周辺一体が公園になっているようだ。

中に入ると大勢の観光客が目に入る。旧石器時代の展示からスタートし、現代へと時代が進んでいく。交易紹介のコーナーで、実際の輸出品を展示していたことが印象的だ。だいたい交易・貿易というと何を輸出して何を輸入するか、文字でしか書いていないことが多い。中学以来、硫黄の輸出と聞いてもイメージが湧いていなかったのだが、この博物館では固形の自然硫黄が袋に一杯詰め込んである。硫黄といえばどこか液体のイメージがあったので、非常に納得した。

館内の展示は、中公新書から出ている「台湾」という本の内容とあまり変わらない。飛行機や新幹線内で読んでいたのだが、博物館はまるで本書の内容をなぞるようだ。逆に言えば、本書はエッセンスを詰め込んだ良書だ。

ただし、本の中では日本統治時代についてあまりページが割かれていないのに対し、こちらの博物館はしっかり展示している。

主張のスタンスとしては、日本の統治によってインフラや教育制度は整った(一つ前のノートで取り上げた、植民地モダニズムである)、でもね、伝統的な文化は蹂躙されたんだよ、というところだろうか。

韓国の博物館とは対照的である。韓国でははっきりと日本統治時代が批判されている。

台湾に来て思ったが、日本人が読んで不快な気持ちになるもの(もともと日本が台湾を植民地にしたわけで、不快も何もないのだが)はあえて見せないようにしているのではないだろうか。台湾文学館では中国語オンリーの展示だったし、ここ台湾歴史博物館も郊外の行きにくいところにある。まあただの推測なので分からないが、どうも日本が残した負の遺産は、我々の目に入らないよう図っているようにも感じられる。

太平洋戦争末期になると台湾でも特攻隊員の招集があったみたいだ。

米英撃滅大東亜建設大観。アジアを痛めつける米英を日本が駆逐し、解放者になるというビジョンがよく伝わってくる。日本が善意でアジア諸国を解放しようという様子が強調されている。

ぐるっと展示を見終えた頃には、館内の人もほとんどいなくなっていた。17時。館内には西から光が差し込んでいる。そろそろ閉館の時間だ。

インフォメーションの担当者に尋ねると、永康駅まで無料のシャトルバスが出ているという。期間限定の試行らしい。それはありがたい、ということでバス停まで急いだ。

結局シャトルバスに乗ったのは自分だけだった。永康駅まで戻ると、下校時間ということもあって駅は中学生・高校生で一杯だ。旅行先で見る中高生って、どこかエモいんだよな。

台南駅に戻ってきた。風情のある駅構内。ここから沙崙駅まで戻る。沙崙駅は高鐵の台南駅とつながっているというわけだ。

車窓を眺め、ときおり車内を振り返る。大学生がケータイで論文を読んでいる。授業の予習だろうか。ものすごい勢いでPDFをスクロールしている。

今日こそ箸をもらって新幹線内で駅弁を食べるのだ!と思っていたが、なんと今日は売り切れ。日本で駅弁が売り切れなんて見たことないのだが…今日も空腹で台北まで戻ることになった。

およそ2時間後、ホテルのある中山まで戻ってきた。8時過ぎだっただろうか。今日は駅周辺で美味しいものを食べよう。近くの福大蒸餃館という店が人気のようだ。

蒸しギョーザとしいたけ入りジャジャ麺。ジャンクな味が空腹にはたまらない。すごく美味しかった。

今日は台南を満喫できた。明日は最終日。

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