見出し画像

花巻・盛岡[2023.5.2]

さて、中尊寺のわんこそばで満足した私は平泉駅まで戻ることにした。12時54分発の盛岡行きに乗らなければならない。都市部に住んでいるとどうしても電車は次々くると信じ込んでしまうが、旅行に来ると本来そうではないと教えられる。

ゴールデンウィーク中の旅行だが、観光客はそれほど多くない。ゴールデンウィークとはいえ、今日は一応平日なので、親子連れが少ないせいかもしれない。

やや急ぎ足で駅まで戻り、電車に乗った。もともと今日は山形で泊まる予定だった。だが岩手観光をして山形で宿泊というのは少し馬鹿げていないだろうか。夕方に仙台まで戻り、また奥羽山脈を横断するのはもう御免である。電車の入口付近から外を眺めながら、そんなことを思う。

そうだ。今日は岩手で泊まって、明日は秋田に行こう。私はケータイを取り出し、いつも使っている宿泊予約サイトで宿を探し始めた。花巻から盛岡あたりのホテルが望ましい。

15分ほどいくつかのホテルで迷った末、盛岡駅の近くのホテルに決めた。幸い、山形のホテルは18時までキャンセル料がかからなかったので、ペナルティなく新しい宿に泊まれることになった。当初宿泊予定だった宿には申し訳ない。

そうこうしているうちに、花巻駅に到着。きれいな駅ですね。

ただ、私はこのあと降りる駅を間違えたことに気づく。花巻では宮沢賢治記念館を訪れる予定だったのだが、その最寄り駅は花巻駅ではなく、花巻駅から伸びる釜石線にある新花巻駅だった。

もちろん花巻駅からも賢治記念館へのバスが出ているので、決して降りる駅を間違えたわけではない。が、次のバスは14時50分。今は13時35分。1時間以上ある。新花巻駅まで歩くことも考えたが、かなり遠そう。とてもじゃないが、3、40分では着きそうにない。

私は花巻駅周辺で時間を潰すことにした。都市部であればカフェとかがあるんだけどなぁ…

ありますねぇ。

駅東口を出てすぐのところに、おしゃれそうなカフェがあるではないか。

このお店、リノベーションでできたらしい。正確にいえば、カフェというよりもダイニングバーとかバルといった類である。バルによくある黒板で飾られた広い空間、落ち着いた木の机、コーヒーを飲んでくつろいでいる客…。と、これでは雰囲気を伝えることはできないので、ホームページのリンクを載せておこう。きっとこのお店のイケてる感が伝わるはず。

具材を選ぶと、お店の人がベーグルを作ってくれる。わんこそばで私のお腹は満たされているのだが、このお店で何か食べないと後悔するだろう。

チーズベーグルにしてもらいました。お肉とチーズが絶妙に混じって、非常に美味しい。

旅行に持ってきた本を読んで過ごす。中公文庫から出ている「世界の歴史」の最終巻「現代」。現代と言っても、1970年代に出たシリーズの古本なので、表紙はスプートニク1号なんですけどねw。

せっかくだから、この本の結びを簡単に要約しよう。結構シビれることを言っている。

世界の歴史は暗い面が多い一方、明るい面も少なくない。それは、正気の考え方・実践運動が既成指導者の病理的な考え方を圧倒したからである。曇りのち晴れの将来を迎えるためにも、世界中の若い世代が個人的な生活を楽しむだけでなく、自国のこと、世界のことを考えるまでに成長しなければならない。そして、責任の地位にあるエライ人々を非難するだけでは許されない。

70年代も、今日も、同じことである。曇りのち晴れの将来を迎えるために、我々ひとりひとりができることとは…。

この辺で本の世界とはおさらばして、旅行の続きに戻ろう。いい時間になったので店を出て、バス停に並ぶ。

時間を過ぎてもバスが来ない。時刻表を読み間違ったのかと不安になったが、やがてやって来た。

20分ほど揺られて、賢治記念館口に到着。バス停から近いのかと思ったら、めちゃくちゃ長い階段を登らないといけない。367段あるらしい。一段ごとに、「雨ニモマケズ」の詞の文字が貼られている。

非常に良い運動。ということで、記念館に到着しました。

展示をみて驚いたのは、賢治が幅広く科学・芸術・宗教に対して関心を持っていたこと。作家だけでなく、作曲家・画家といった顔も持ち合わせている。また、アインシュタインの相対性理論といった同時最新の科学について、彼は学んでいたという。

「銀河宇宙をつらぬく、まことの道の実証」。これが賢治の目指したものだった。まさに「銀河鉄道の夜」は銀河宇宙を舞台に、真の幸福とはなにかを問う物語だ。篤く法華経を信仰した賢治は、科学と宗教を融合し、農村の人々の幸福を願って芸術として昇華させたのだろう。

37歳という短い人生は、私が想像するに働きすぎによるところが大きいのではないだろうか。これだけ幅広いことに興味を示せば、時間も足りないだろう。37年という時間には、普通の人の何倍にも凝縮された考えや苦しみが詰まっていたのだと思う。

若くして亡くなる芸術家は多い。その短い人生に目をやる度に、人生の「量」というものは長さと濃度の掛け算であり、みな同じだけの「量」を享受するのではないかということを思う。優れた芸術家というのは、あまりにも濃度の濃い日々を送っている。濃度というのは、思考の量とか、苦しみの量とか、そういうものをイメージする。だから、皆にとって同じだけの「量」のもとでは、人生の長さが短くなってしまうのではないか。まぁ、あくまで根拠のない発想ですが…

少し暗い気持ちになって私は記念館をあとにし、新花巻へと歩いた。

たしか、17時42分発のやまびこに乗ったと思う。新花巻から盛岡は新幹線で15分ほど。

盛岡上陸!人生で訪れた場所の中で最北を更新したので、テンションが上がる。

晩御飯は盛岡冷麺にしました。りんごが入っていてビックリ。でもすごく合っている。昼はわんこそば、夜は冷麺。麺ばかりの1日である。

とても長い一日だった。充実感に浸って、一日を終える。この旅行記も2つに分かれてしまいました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?