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九份[2023.11.1]

学祭の休みを利用して、3泊4日で台湾に来た。今回はその記録。

1人で海外に来たのは、9月の韓国に続いて今回が2回目になる。前回の反省を活かして、2時間前に空港でチェックインを済ませた。

台湾には13時半頃に着く便だったので、向こうで昼ごはんを食べればいいやと思っていたが、現地時間の13時半は日本時間でいう14時半であることを忘れていた。入国審査も長蛇の列で、なんだかんだ活動開始は現地時間で15時前になった。

というわけで、一番最初に目に入った店であるsubwayで軽食!とりあえず空腹をごまかす。

夕方から九份に行く、という計画で、先にホテルのチェックインを済ませてしまうことにした。ホテルは台北から一駅北に行った中山にある。19時チェックインの予定だったが、16時に部屋に入れるのだろうか?

空港の駅で悠遊カードというICカードを購入。このカードにお金をチャージしておけば、交通機関はもちろん、コンビニでも使うことができて便利だ。500ニュー台湾ドル(以下、NTD)で購入可。このときは1NTD=4.6円だったので、高っ!と思ったが、うち400NTDは予めのチャージとなっている。つまり、カードは実質100NTDだ。

少し困ったのは、券売機では1000NTD紙幣が使えなかったことだ。外貨両替で1000NTD単位でしかお金を持っていなかったので、あたふたしてしまった。改札横のスタッフにお願いして両替してもらったが、なぜ両替機がないのだろう…なんだか旅行の先行きが危ぶまれるような気もしたが、まあ良いだろう。

空港から台北までは電車で40分弱。早く荷物を下ろして身軽になりたい。ぼんやりと外の景色を見て過ごす。山を切り開いて電車を通しているのが分かる。都市部に入ると、どこもかしこも工事をしている。これから開発が進むのだろうか。

台北駅に到着し、淡水信義線に乗り換え。台北と中山は電車で2分ぐらいしか離れていない。歩いてもそんなにかからなさそうだ。

中山駅を出て地上に上がると、人通りの多い道に出る。東京ほど人は多くないし、日本の地方中枢都市っぽい感じだろうか。

ホテルを見つけ、チェックインを申し出たが「まだ掃除が終わってない」ので部屋には入れないとのこと。まあ19時チェックイン予定でお願いしてるところを、16時に来たのでそうなるか。

ホテル代が現地払いだったことを知って慌ててセブンでお金をおろすというトラブルを挟み、次の目的地は忠孝復興駅だ。ここから九份行きのバスが出ている。

バス乗り場には中年の男性と若い女性の2人しか並んでいない。バスは間もなくやってきた。ネットには九份まで1時間ほどと書いてあったが、このあと2時間バスに揺られることになる。途中で高速道路に入るのだが、そこが非常に混んでいて、だいぶ時間を取られた。その日の込み具合にだいぶ左右されそうだ。

乗車から1時間足らずでバスは満員になった。この人たちは全員九份に行くのだろうか??と思ったが、明らかに仕事帰りの若い人が多いので、違うのだろう。実際、九份の手前まででほとんどの人が降りていった。

九份の一つ前のバス停あたりから、曲がりくねった山道を経て、19時すぎに到着。入口はこんな感じだ。思ったよりあっさりとした入口である。

いろんなお店が出ている。たまに本格的なレストランっぽい店もある。商店街みたいな雰囲気か。

美味しそうな店を発見。炒飯と小籠包を注文した。韓国では、注文すると2、3人前の量が出てくるという悲劇を経験しているので、今回の旅行は総じて控えめに注文している。とはいえ、台湾は日本と同じように、頼めば1人前の料理が出てくる、というのが旅行後の私見である。

小籠包はもちろんだが、炒飯がめちゃくちゃ美味しかったのが印象的だ。油の絡まり方が絶妙なのだろうか。油が絡まっていると言いつつも、全体的にはさっぱりとした味。日本では食べたことがない味だ。

あまりのんびりしている時間もないので、九份散策を続けよう。店を出ると、雨が降り出している。九份は年間を通して雨の多い場所だそうだ。

異国情緒!と言いたくなるかもしれないが、訪れた身としてはそこまで異国風の情緒を感じたわけではない。なんでだろう、と思ったが、石畳が日本っぽいからではないか。ここの通りを歩くと、なぜか安心感がある。実際のところ、九份は日本統治時代の面影を強く残しているようだ(Wikipediaより)。

トトロのメインテーマが聞こえてきたので、思わず店内に入った。引き寄せられてしまった。いや、九份といえば千と千尋のテーマちゃうんかい(笑)。手作りのジブリグッズを販売しているようだ。

そもそも九份って何?というのが気になってきた。もとは「一寒村にすぎなかったが、19世紀末に金の採掘が」始まり、徐々に発展したようだ(Wikipedia)。第二次世界大戦後は金鉱も閉山となり、しばらく忘れられた存在となる。1989年、官憲が市民に暴力を行使したことに対する市民の抗議デモを弾圧した二・二八事件をテーマにした映画のロケ地に選ばれ、再び注目されるようになった。

阿妹茶樓(あーめいちゃろう)。有名な茶芸館らしい。ここから茶樓を取るのがいわゆる写真スポットになっていて、人が集まっている。ときおり日本語も聞こえてくる。

20時過ぎ。そろそろバス停に戻らなければ。ホテルの人に22時に戻ると言ってあるので。元の道を戻っていくと、多くの店が店じまいを始めている。

赤くて妖しい光が目に入ったので、少し寄り道を。九份代天府。道教寺院のようだ。もはや毒々しい色だ。

バス停はどこやねーん、とさまよった果て、無事に20時半頃のバスに乗ることができた。帰りは北門駅まで戻ってくれるバスで、高速道路の混みもほとんどなく、非常にスムーズに帰れた。1時間程度か。

ホテルに戻り、達成感に浸る。7時に家を出て、ほぼ丸一日移動していた。明日からに備えて、就寝。

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