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呉[2023.8.3]

広島2日目。朝食はホテルのバルコニーで。あまり大きな声では言えないが、道行くサラリーマンをよそ目に朝ごはんをいただくのはなかなか良いものである。

今日は呉に向かう。広島市内のホテルに泊まっていたので、広島駅から電車で行くことにした。朝のJRに揺られ(途中で乗り換えを間違ってタイムロスしたのは秘密)、10時頃呉に到着。

今日も午前中からさんさんと太陽が照っている。夏だ。駅から戦艦大和ミュージアムの入口までは、歩道橋で繋がっている。ありがたいことに屋根が付いているので、暑さも少し和らぐ。

歩道橋の階段を降りればミュージアム前、というところで目前に大きなタンカーが。港町ですね。

ということで、ミュージアムに入ってみよう。まず手前にあるのは、戦艦大和の模型である。実物の10分の1だそう。

続いて展示へ。呉が海軍工廠の街としてスタートする明治期から、敗戦を経て、技術の平和利用までをパネルとして展示している。ところどころ当時の映像も。

夏休みなので子供が多いですね。素晴らしい。

最後の方には特攻隊員が出陣前、最後に実家に帰ったときに録音した家族へのメッセージなどが聞けて、なかなか生々しい体験。

国のために命を捧げるような時代だったが、教育の効果はどれくらいのものだったのだろう。いわゆる教育勅語によって、どれくらいの若者が国に殉ずることを誇りに思ったのだろう。

昼は近くのショッピングモール内のフードコートで。東広島発のビーフカツらしいです。カレーのようなソースがたまらない。

午後は大和ミュージアム横の海上自衛隊呉史料館(通所、てつのくじら館)へ。なるほど、入口に大きな鉄の「くじら」が置いてある。実際のところは潜水艦である。

この史料館は海上自衛隊の活動とその歴史を紹介するもの。主に掃海について。掃海という言葉は新聞ではしばしば目にするものの、何を意味するのかは知らなかった。簡単に言えば機雷の除去である。英語で表現すればMine sweepingで、こちらの方が一目で意味を理解できる。

従来は水面近くに浮遊する機雷や、海底のアンカーからワイヤーを伸した機雷が主流だったが、最近は自ら目標に接近するものや、機雷探知機に見つかりにくいステルス性のものが出てきており、掃海に求められるレベルは上がっているらしい。

この史料館では、今は除籍になっている本物の潜水艦の中に入ることができる(入り口の潜水艦が実はそれ)。乗組員は潜水艦内で生活する。操縦室には色んな機器やモニターが付いているが、さっぱり分からない。食べ物については、結構いいものを食べていそう。一方、睡眠の環境は良いとは言えなさそうだ。寝室は3段ほどのベッドが付いているが非常に狭く、寝返りを打つのも難しそうなぐらい。

潜水艦内をぐるっと一周し、建物の外に出た。夕方のバスに乗るため、そろそろ広島市内まで戻らなければ。バスで戻ることにした。暑さと、ずっと室内を歩き回った疲れで、ゆったりとした空間にいたくなったので。

8月、炎天下の中の旅行というのは考えものだが、総じて充実した旅になった。

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