命は輝いているか?
僕はよく写真を撮りに行きます。
主に風景と野生動物を撮影することが多いです。
写真を始めた頃は、スナップ写真をよく撮っていましたし、他にも食べ物や花、乗り物など、けっこうオールラウンダーな感じでした。
で、気づけば風景と野生動物が撮影対象になっていました。中でも野生動物は出会うこと自体が難しい上に、何時間も待ってやっと会えたり、朝から丸一日待ち続けても会えなかったり、シャッターチャンスが極端に少なく難易度が高い。
そんな野生動物がなぜ好きなんだろう?と考えたことがあります。
たどり着いたのは、「彼らの命は輝いているから」。つまり、「本気で生きているから」という結論でした。
野生動物を追っていると、当然、捕食シーンにも出くわします。テレビやSNSでも目に入ってきます。
ご存知の通り、野生動物の世界は弱肉強食の世界。必死なんです。人間みたいにゲームをしたり、カラオケに行ったり、食べすぎてブクブク太ったり、そんなことをしている余裕なんてあるはずがない。
食わなきゃ死ぬし、食われても死ぬ。
食われないように注意しながら、食っていかなきゃならない。想像してみると、「なんて凄まじい世界なんだ」と心の底から思うのです。
夜だってオチオチ寝られない。人間のように爆睡するなんてことは夢のまた夢でしょう。敵は空にもいるし、大地にもいるし、水の中にもいるし、朝にも夜にも存在する。
たとえば、モフモフで真っ白でかわいらしい、みんな大好きシマエナガちゃんは雪の妖精と呼ばれますが、北海道に生息する野生動物です。
ちょこちょこと動き回り、静止することがほとんどありません。撮影するのが大変なのですが、これももちろん身を守るためです。
木から木へ移動したり、前、横、上など常に視線を変えますが、時折、首をかしげたような姿になることがあり、これがとてもかわいいのですが、これも常に周囲を確認しているわけです。
さらにシマエナガは、ハシブトガラやヤマガラなど、他のカラ類と共に行動することが多く、群れで行動することで、いち早く危険を察知することが可能になります。
人間にはかわいらしい妖精のような小鳥に見えますが、彼らもまた死と隣り合わせで生きているのです。
そう。野生動物の隣には、常に死が存在している。だから本気で生きるしかない。それが僕の目には、命が輝いているように映るのです。
一方、人間はどうか?自分自身はどうか?と自問してみると、とても彼らのように命を輝かせてはいない。そんな人はほんの一握りしかいません。
僕は、野生動物を通して「死生観」を学ばせてもらっています。本当の意味で命を輝かせて生き始めるには、死を知ること。
限りある命をどう生きるか?
野生動物は、それを教えてくれていると僕は思うのです。彼らには学ぶことだらけなんです。
そしてその学びは一生かけても終わりそうにありません。だから、これからも野生動物を追っていくのだと思います。
僕は一つの領域を極めるのではなく、多くの領域に関心があるタイプですので、写真や野生動物だけでなく、他の動物との関係性や、植物、環境、エコシステム、地球規模での全体性などの繋がりに大いに関心があります。
動物というのは動く物と書きますが、その名の通り動くことに最大の役割と意味があるんですね。養分を動かすことでエコシステムを循環させています。本当によくできています。
と、こんな話をしていると終わらなくなるので、また別の機会に書くことにしますね。
とにかくそんな視点で撮っているので、いろいろ気づいたり、思うことがあります。いつになるかわかりませんが、また書きます!
おわり。
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