「FAKEな平成史」

平成は遠くなりにけり…(笑)。

森達也さんの著書は、どれもハッキリとした結論・解答は出ない。問題提起をして、考える材料を示しているともいえるけど。

結局、「ねぇ、みんな、人を殺してはいけないんだ。大切なのは愛なんだよ」なんて恥ずいヒューマニズムに落ち着いてるような気もしないでもないけど、素晴らしい数々のドキュメンタリー作品を通して、ステレオタイプな見方や固定観念に??を突き付けてきた著者がゲストと共に平成を振り返る。

基本、平成はメディアにとって自粛と萎縮の時代だったということだ。

各分野のゲストが直面する問題からメディアの存在の意義を炙り出す流れだけど、著者の立場からすれば、そりゃ悲観的にならざるを得ないだろうなぁ。

メディアの存在がその国の民度に比例するのは当たり前だけど、だいたい現代社会においてメディアはそんなに必須の存在なのだろうか。新聞やテレビなんて完全にオワコンだと思うけど。

メディアが一方的に情報を流すのではなく、視聴者の方から情報を選択するのだ。例えそれがfakeであっても、その情報が欲しい人にとってのリアルであれば充分なのだ。

ほとんどの情報は全く関係ないし、手も届かないことで、世界中の隅々まで知り得たからってどうするというのだろう。

それにメディアの倫理として公明正大、不偏不党、権力監視なんていわれてるけど、売り物である以上、広告主や視聴者に忖度しなければならず、その実行は土台ムリなこと。例えニュースであっても流すメディアの編集や意図が入った表現作品なのだ。表現作品であったら、右から左、上から下、多種多様であった方が面白いことに間違いはない。

脳に情報を詰め込み過ぎると思考能力が衰えて老けるような気がする。脳細胞には新しい情報が入った時にそれが自由に脳内を駆け巡るために、普段は何もせずに遊ばせておくスペースも必要だと思うよ。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。