見出し画像

「魔術師」

イングマール・ベルイマン監督のモノクロ作品「魔術師(Ansiktet)」(58年)を。

口のきけない魔術師ヴォーグレルが座長の、旅回わり一座の馬車が、検問で止められ、ある貴族の屋敷に導かれる。館にいた貴族たちに、魔術なんてインチキじゃないか、などと尋問される。とりあえず一座は屋敷に宿泊することになり、食事は召使いたちと一緒にするが、いろいろ召使いらの誘惑もあったり、一座の真相がバレたり…。翌日、一座は魔術を披露することになり、最後は王宮にも呼ばれる…。

コレは、ベルイマン監督のオカルト・超常現象に対する回答だろうか。全部、ウワサと嘘とごまかしと虚勢。魔術を暴く側の貴族たちも一皮剥けば虚勢と嘘ばかり。啞だったはずの座長もカツラを被り化粧して、男装していた妻の前では喋る。「真実なんてあるものか。今が楽しけりゃそれでいいのさ」。

ただ前半と後半に出てくる役者の死だけが揺るぎない真実としてある。魔術を暴く側の貴族の医師が、死んだ役者の検死解剖をするが、不思議なことが次々と起こり、医師は「暑さにやられただけだ」というが恐怖する。結局、それも一座のトリックだったわけだが、医師が追い詰められて放つ言葉、「ただ死を恐れただけだ」は、何を示唆してるのだろうか。

俺も生まれる前の58年の映画だけど、オカルトに対して、ちゃんと肯定派、懐疑派とあって、論争してたんだなぁ。召使いの女の子たちがキャーキャー言いながら、媚薬や魔術に多大な興味を示し、一座の男たちを欲望のままに誘惑するのも、なんか示唆的だ。

画像1

画像2

画像3


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。