【古典映画】「風の中の牝鶏」
1948年の小津安二郎監督の「風の中の牝鶏(メンドリ)」。
もうTSUTAYAも、GEOも、図書館でも、小津安作品は全部借りて観てしまったので、メルカリで売ってたDVDをゲットしたのだ。
好きになると全てを観たくなるオイラ。初期の無声映画など、フィルムが現存しない作品もあるらしいが、全部でどのくらいあるのだろう?
戦争直後の東京のガスタンクがある町。
長らく出征した夫・修一(佐野周二)の帰還を待つ28歳の妻・時子(田中絹代)。
生活が困窮してたが、着物などを売って、なんとかしのいでいた。
ある日、子供が高熱を出して大腸カタルとなり、入院費などが払えなくなる。
時子は、仕方なく金を工面するために、一度だけ、春を売る。
やがて修一は戻ってくるが、その真相を知って、時子と共に苦しむ…というストーリー。
調べると、この映画は、世間の評判も悪く、小津安自身も失敗作としているらしい。
カメラのアングルや撮り方などは、いつもの小津安独自のものだが、確かに時子の置かれた状況(女性蔑視の側面)や、修一の身勝手さが目立つような気がする。
時子の一件で、友人に奥さんを許すようにと諭された修一は、「仕方のなかったことだとは分かっているが、気持ちが落ち着いてくれない」と答えてる。
ラストに、許しを乞う時子を振り解いた勢いで、彼女は急な階段を転げ落ちてしまう(←コレはリアル)が、修一は「大丈夫か?ケガはないか?」と上から声をかけるだけで、近寄って助け起こそうともしない。
時子が、ほうほうのていで起き上がり、一段一段、階段を上ってから、修一は、「過ぎたことは水に流して、もう一度やり直そう」と時子を抱きしめるのだ。
それはねえだろ。まずは近寄って抱き起こせよ。自分が突き落としたのに。修一の言葉に感動して、さめざめと泣く時子がかわいそうだろうよ。昭和は若い女性も野郎の影に隠れて我慢してたということか。
夫以外は純潔を守ってた妻が、夫も可愛がってた子供の命を救うために、仕方なくたった一度だけ、他の男に抱かれる。しかも、その他の男は「ダメだ、役に立たん。最後まで出来なかった」と嘆くから、おそらく中途半端だったのだろう。
コレは日本が敗戦後、アメリカに占領されて日本人の精神の純潔を侵されたことへの象徴的なアナロジーでもあるのかな?と思ったけど。反戦の意味も込められているのかもしれない。時子が春を売った場所の宿が小学校のすぐ裏ってのもなんかあるかなぁ。
時子が、売春をする前、金の工面に苦労して、疲れて壁に寄りかかっているところなんか、ほつれ髪でシナを作って、明らかに“色気”を意識しているね。
この時は、まだまだ空き地や道端に、戦争で被害を受けたガラクタやブロック、焼け跡の遺物などが残ってたのだね。
脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。