「日本古典文学史」

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず…」

「つれづれなるままに、日ぐらし。硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」

「何せうぞ、くすんで 一期は夢よ、ただ狂へ」

「すべて世の中にありとあらゆる事にふれて、その趣き、心ばえをわきまへ知りて、うれしかるべきことはうれしく、をかしかるべきことはをかしく、悲しかるべきことは悲しく、恋しかるべきことは恋しく、それぞれに情の感くが、物のあはれを知るなり」

「祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 驕れる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し」…。

諸々、やはり、古典は、根底に「無常感」が現れている作品ばかりである。

四季と自然、草花、動物を例えにあげて、その時の感動や思いを歌にする。心は簡単に言葉にすることはできないけれども、目に見えて、聞くことができる物に託すことで、表現としての言葉が生まれるのだ。

番外…、「霞の衣すそはぬれけり 佐保姫の春立ちながら尿(シト)をして」。
女性の立ち小便は一般的な習俗だったのだなぁ。
「ふぐりのあたりよくぞ洗はむ 昔より玉磨かざれば光なし」(睾丸をよく洗おう。玉は磨かないと光がないから)。ww


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。