【邦画】「MINAMATA-ミナマタ-」

近年、観たかった映画の一つ、「MINAMATA-ミナマタ-(Minamata)」(2020年・米、アンドリュー・レヴィタス監督)を鑑賞。

アメリカの著名な写真家W・ユージン・スミス(ジョニー・デップ)が、1970年代、3年に渡って、ここ熊本の水俣に滞在して、帝国化学企業チッソが流した汚染水が原因で発症した公害病である水俣病に苦しむ地元民たちを写真に収めたという実話を元に映画化したものだ。

ユージンは、アメリカのグラフ雑誌「ライフ」が主な仕事場だったが、家族には逃げられてアル中の隠遁者となってたところ、訪れた日本人翻訳者のアイリーンから、水俣を訪れて水俣病を撮影・記録するように促される。

後にアイリーンと結婚して、2人で水俣で生活しながら撮影、1975年に夫婦共作の写真集「MINAMATA」を出版して話題となる。

2人の取材・撮影は問題なくスムーズにいくはずもなく、チッソの嫌がらせ、警備員等による激しい暴行(コレが遠因となって死亡)、市民への潜入、滞在場所への放火(脚色)、買収工作(脚色)の他、地元民も口を閉ざしたり、現地において厳しい報復を受けることになるが、ユージンは使命感に燃えて屈せずに、徐々に地元民の信頼も得ていくことになる。

後日、写真集「MINAMATA」によって彼は、フォト・ジャーナリズムの象徴となった。

俺も、前に水俣市には行って水俣病資料館を訪れたが、彼の作品は知ってた。水俣病の娘を入浴させる母の写真だが、動けない娘と優しく見守る母が、モノクロで崇高なイメージと共に水俣病の悲惨さを訴える素晴らしい写真だった。

しかし、ジョニー・デップや真田広之(熊本弁が上手い)らの熱演もあるが、映画としては、今一つ、熱く訴えかけるものが少ない気がした。

「社会全体の利益の前では、一部の市民など無に等しい」というチッソの社長に対して、命の危険も感じつつも、どう世界に訴えかけるか、正面からカメラを下げて突っ込んでいくユージン。白衣で変装して病院に忍び込んでのゲリラ撮影もある。

この時代の帝国企業はあくまでも高度経済成長を支える利益優先第一であるし、権力を笠に着た社員や官憲、市民の傍若無人ぶりも凄まじい。

チッソは昔から水俣と持ちつ持たれつの部分もあるので、アメリカ人のカメラマンだからこそ、忖度なしで真実を撮ることができたのだと思う。

ユージンが、パートナーとなるアイリーンに教える。
「写真は、撮る者の魂の一部も奪い去る。つまり写真家は無傷ではいられない。感情に支配されてはダメだ。何を撮るべきかだけを考えろ。伝えたいことに集中するんだ。現場で何を感じたか。それを思い出せ。不快感か、あるいは脅威や悪意か…」。

芸術となる写真とは、見る者に被写体の背景や物語を豊かに想像させて、喜怒哀楽、激しく感情を揺さぶるものだと思う。

怒りを換気されるが、暗くてうつむいてしまう映画だった。音楽は坂本龍一。

しかし、カルト新左翼の連中は、なぜ水俣には来なかったのだろう?


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。