「病牀六尺」

「びょうしょうろくしゃく」と読む。

明治の俳人・歌人の正岡子規が、結核に伏して死ぬまでの5ヶ月間に書いた随筆。

「絶叫。号泣。ますます絶叫する。ますます号泣する。その苦しみ、その痛み、なんとも形容することはできない…。もし死ぬることができれば、それは何よりも望むところである。しかし、死ぬることもできねば、殺してくれるものもない…誰かこの苦を助けてくれるものはあるまいか…」。

こんな苦しみにあった子規だけど、意外と、アレコレ情勢を考える心の余裕はあったようで、さらに自分の行く末を悟って、達観の境地にあったようにも思える文章。

「余は、悟りということを誤解していた。悟りは、いかなる場合にも平気で死ねることかと思っていたのは間違いで、いかなる場合にも平気で生きていることであった」。

教育についても一家言。
寝たきりの立場なのに、女子の教育について、病気の介抱に必要であるとともに、女子に常識を持たせるために普通学の教育が必要と勝手なことを書いたりしてる。明治の男子の考え方がわかる一文である。

「人間の苦痛は、よほど極度へまで想像せられるが、しかしそんなに極度にまで想像したような苦痛が、自分のこの身の上に来るとはちょっと想像せられぬことである」。病苦の真摯な告白。子規はコレが面白い。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。