「自分疲れ」

カフカの“絶望名言”本がとても共感できた著者のエッセイ。

13年という長い闘病生活から、「自分にとって自分がしっくりこない」「自分でいることになじめない」という思いに捉われた著者が、古今東西の文学作品を読む中で、自分という存在をシッカリと確認していく。

自分の心と身体という“個人的なこと”を文学は拾いあげてくれるという。知らない架空の一人の主人公について書かれてるのが文学だが、言葉を駆使して、その体験や内面が細やかに書かれていると、なぜか自分のことのように共感・感動したりすることが多くなる。個人的なことでも突き詰めれば、それは必ず普遍性を持つものだ。

俺の身体も、右片麻痺となってから、自分の身体のようでないことはしょっちゅう感じてる。麻痺の右半身に何か重いモノがぶら下がってて動きを制限してるように。右側全てが別のモノと化して、俺という存在は、実はこの世に現れている身体のたった半分でしかないのではないか。

でも、心は多分、全部が俺のものだろう、と思う。心が身体を動かしているのがフツーかもしれないが、俺の場合、身体が心を支配しようと目論んでいるのではないか。

心の操縦はいつもままならない。そこに身体が絡んでくるとさらにコントロールが難しくなる。心と身体は別物であって、強く影響し合う別物ではないのだ。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。