【映画】「審判」

「審判(The Trial)」(1963年・フランス)。

大好きなフランツ・カフカの、わけのわからん不気味な未完の長編小説が原作で、監督が「市民ケーン」のオーソン・ウェルズ、主演が「サイコ」のアンソニー・パーキンスとくれば観ないわけにはいかない。BOOKOFFで300円で投げ売りされてたのを見つけた時は狂喜したぜ。

筋は大体、カフカの小説通りだと思うけど、ただラストは、小説では、主人公のヨーゼフ・Kはナイフで心臓を一突きされて処刑されるが、この映画ではダイナマイトで爆殺(!)されてキノコ雲が拡がる…となってる。当時の核の危機を孕んだオーソン・ウェルズ監督の演出だろうか。

主人公ヨーゼフ・Kがある日突然、検察官と刑事に寝込みを襲われ罪があることを告げられて、Kは法廷に出向いて自分を弁護するが、らちが明かずにKの叔父に弁護士(オーソン・ウェルズ)を紹介されて弁護士と面会するものの、またまたらちが明かずに、画家等知人の助言をもらうが、結局、判事に「お前の罪は明白だ。宗教もそれを救えない」と告げられて、私服警官に荒野に連れ出され処刑されて終わり。

何の罪なのかもわからず、何の容疑かもわからず、最初から最後までわからないことだらけで、ただわかってるのは、Kに罪があって処刑されたという事実。

この、考えれば考えるほど袋小路に入り込んでしまうような狂った天才カフカらしい長編小説を無機質な近未来的映像(「1984」みたい)で演出してみせたオーソン・ウェルズ監督の手腕は素晴らしいと思う。

しかしながら、元が狂った難解さを持った小説のため、なんか前衛的で違和感を感じてしまったのも事実だ。カフカを知らないとつまらないかもしれない。

異様に天井の低いヨーゼフ・Kのアパートと対照的な巨大なコンピュータに管理されたKの仕事場である銀行のオフィス。そこではだだっ広い部屋に無数の机が整然と配置され、無数の行員たちが背中を向けて無言でタイプを打っている。タイプの音だけが響いている。

一方で乱雑に資料が積まれた個室があって、そこでKは知人の女性と抱き合う(カフカの願望もあるだろう)。

銀行と法廷をつなぐのは迷路のような長い廊下で、また法廷はこれまた広くてぎっしりと人で埋まっており密になった状態。

自分が認識不可能なところでも否応なく社会に絡め取られてしまう現代を予見したのか。人間が作る不条理な世界を表したのか。カフカの日頃持ってたストレスと夢の世界なのか。法律や罪、正義、裁判に対して疑問を呈したのか。具体的な罪がなくとも多数の価値観で罪人に仕立てることができることを言いたかったのか。主人公K、つまりカフカの深過ぎる不安の心情を表したものであることは間違いないと思うが。

俺にとっては、吐きそうになるくらい素晴らしい映画だったぜ。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。