【古典邦画】「恋文」

女優・田中絹代の、1953(昭和28)年の初監督作品「恋文」。YouTubeで見つけた。

脚本は木下惠介。当時の日本映画の錚々たる豪華な俳優陣が友情出演(?)している。

邦画で女優が監督を務めたのは史上2人目。監督の田中絹代も、脚本の木下惠介もチョイ役で出てる。

女性に対する当時の価値観がチョイ気にはなったけど、なかなか引き込まれて面白かった。

しかし、観てて、ウジウジと過去にこだわり続ける、暗〜い森雅之演じる復員兵の男にイライラしたね。恋人だった道子(久我美子)が戦争中、生きるために別の男に身を任せたといっても、それはしょうがないだろうに。男も戦場で苦しんだかもしれないが、道子も銃後で生きるために相当苦しんだのだ。男は自分のことしか考えてないね。勝手に純粋だった頃の道子を想ってて、そうじゃなければ裏切られたと怒るなんて。本当に愛してるなら、道子がどんな過去を経験しようとも、全てを受け入れるべきだろうに。それに商売女を汚れた存在と見なす職業差別はダメだなぁ。意外にも田中絹代監督は保守的だったりして。

復員兵の真弓礼吉は、弟の下宿に身を寄せながら、友人の仕事を手伝うことに。
友人の仕事は、客は娼婦が多くて、進駐軍の米兵へのラブレターの代筆。
ある日、友人の店に真弓の恋人だった道子がやって来る。
彼女は真弓と結婚するはずだったが、他の男と結婚、しかし、別れて、進駐軍で働いていた道子は米軍士官の妻になって、また別れて独りになっていた。
それを見た真弓は娼婦だとカンチガイして、酒に溺れるようになってしまう…。

多分、まだ女性の貞操の倫理が問われた時代であったかもしれない。

娼婦のセリフが物語っているね。
「なにさ、真面目になれと説教ばかり言いやがって.あんただって同じだよ。手紙の代筆って、所詮は私達の上前をはねてるのと同じことじゃない。あんたはいいよ、英語の才能があるから、そうして食べて行ける。だけど才能も何もない女は身体を売らなきゃ食べて行けないのさ」。

そして、最後の、友人・宇野重吉のセリフ。
「なんじらの中で罪なき者、まず石を投げよ。日本人は一人残らず、あのくだらない戦争の責任がある。そして一人残らず敗戦の怒涛の中でもみくちゃになった。一体、誰が誰に向かって石を投げられるというのだろう」。

渋谷をはじめ、昔の東京の風景が面白い。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。