「日本人とはなにか」

「遠野物語」の柳田國男が思う、こうあってほしい日本人論だな。

文化や生活、常識、観念、しきたりの移り変わり、来世感など、いろいろと接して思うことを綴ったもの。

やっぱり旧来の価値観が多くて、読みにくいし、面白くはなかったな。

そこで俺が考える日本(の美)とは…。

絶対的な強固な美を良しとする西洋のキリスト教的価値観とは違って、四季と共に、常に移ろいゆくモノに儚さと美を見出せることだ。

桜が美しいと愛されるのは、とてもキレイに咲くけど、命は短くて、すぐに散ってしまうからこそ、そこに美を感じることができるのだ。“無常”の世界だね。

美しいものも、何かをキッカケにすぐに穢れた汚いものに転じて、また汚いものも移動したり清めたりすれば、また美しいものに変わることができる。

同様に、日本には核(コア)となるものがなくて、もしくはあっても根本的に曖昧で、外からの影響を受け易くて、輸入しても、すぐに独自の文化とすることができる大きな許容性を持つ。

大きな括りがあっても、地方・地域で違った価値観を共有して、個よりも全体の雰囲気を何よりも重んじる。

古事記にもあったように、決して澱むことはなく、常に蠢いて、新しいものが生まれては死んでいく、それを良しとする価値観を持ってることだな。

だから、現実の世界に概念の宗教が入り込むし、上に左右されやすくて、リアルよりも、ハッキリとしない雰囲気を重んじるし、誰でもよくて右でも左でも一気にブレるし、無常的な諦めに近い破滅感を持ってると思う。

例え、滅びようとも、それは儚い運命であって、仕方がないことで、抗うよりも受け入れて美しく死んで行こう…みたいな。

些末なことは別にして、あくまで根本にある文化だけどね。

柳田國男も書いている。
「パーマネントな存在と考えられていたことにも、社会生理学現象とも言うべき盛期衰期の交替がある」と。
「進んだ国の文化を鵜呑みにしようとするところに日本の不健康の因が有り、其の意味で現在我々は非常に悪い時期に入って来ていると思う」とも書いてるけど。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。