「日本人は豚になる」

ブヒブヒ…。

三島由紀夫を現実の政治の世界に堕ろした本かと思ったら…。

著者が述べるには…、
①三島由紀夫は、本質的な意味における保守主義者だった。
②だから、三島由紀夫は右翼になりきることができなかった。
③右翼を演じてる自分を客観的に見つめる保守主義者としての三島由紀夫がいた。
④つまり、三島由紀夫という人間の中では保守主義者と右翼が同居していた。
⑤これは概念上、成立しない。
⑥よって、三島由紀夫は分裂して腹を切った。
…なるほどです。

いっぱい矛盾してた三島由紀夫は、最後に腹を切って死ぬことで、この矛盾を「藝」として昇華したのではないかと俺は思う。

映画「三島由紀夫VS東大全共闘」について、著者は、この映画が宣伝で謳っているような“伝説の大討論”でも”言葉と言葉の殴り合い“でもない、という。
大人と子供が相撲を取っているようなもので、はっきりいってくだらない、三島はバカな学生に甘過ぎる、無知で無恥な学生は気持ちが悪い、と指摘する。
確かに、三島由紀夫は、学生をネタにして時折カメラ目線で、パフォーマンス・ショーを演じたとも見える。面白い。

三島由紀夫の保守は確信、イデオロギーを警戒する態度だったが、今や日本の右翼のほとんどが、日本及び日本文化を知らない。古典なんぞ読んだこともないだろう。彼らが、カッコいいと思ってるのは、明治・大正・昭和にかけての、無理して西洋に阿った歪なマゾヒズム的日本のイメージのみだ。あとは頭の悪過ぎるヤンキーと同じ嗜好。

「青年は人間性の本当の恐ろしさを知らない。そもそも市民の自覚というものは、人間性への恐怖から始まるんだ。自分の中の人間性への恐怖、他人の中にもあるだろう人間性への恐怖、それが市民の自覚を形成していく。互いに互いの人間性の恐ろしさを悟り、法律やらゴチャゴチャした手続きで、互いの手を縛り合うんだ」

民主主義はいずれ全体主義につながるイデオロギーである。秩序を乱さないように、相互監視と弾圧が必要となってくるからだ。夢の共産主義は最初からそうだけど。全ての人間が全部、同じ考えなんて人間としてあり得ないし。

ブヒブヒ…。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。