永山則夫

とっても悲しくなるけど、とても良い本を読んだと思う。1997年8月1日午前9時に死刑に処せられた少年連続射殺魔・永山則夫の、100時間を超える膨大な告白録音テープと「精神鑑定書」をベースに、彼の家族と生い立ちや環境を明らかにして、心の闇に迫ったノンフィクションだ。

言うまでもなく犯罪者になるために生まれて来たような環境なんだが、俺も思ってたけど、永山事件は、いわれてきたような「貧困が生み出した悲劇」では決してないのだ。当時の北国の山村には、永山家と同等の、いやそれ以下の貧困もごまんとあった。

では何が永山則夫に大きな影を落としてしまったかというと、一番大きなものは母親の愛情が全くといっていいほどなかったということである。父親はギャンブル三昧で早くに家を飛び出ている。母親は、幼い永山を抱いたこともなく、完全なるネグレクトで虐待を繰り返してて、挙げ句の果てには幼い彼を捨てている。精神的にも、肉体的にも。

たくさんの兄弟姉妹の中で唯一母親みたいに愛情を注いで育てたのは一番上の姉だが、彼女も途中で心を病んで精神病院に入院してしまう。

独りになった永山は、今度は上の兄からもいつも激しく殴られている。また、彼を虐待した母親も幼い頃、両親から虐待を受けている。まさに虐待の連鎖なのだ。その永山も母親が家を出ると、感情が抑えられずに幼い妹を木刀で殴ってる。

実際に、永山の脳を検査すると、左右で容量が違って感情を司る部分が萎縮してたらしい。幼少期に母親の愛情を受けずに家族からも虐待を受け続けていると、脳の成長に多大な負荷をかけることになるようだ。

永山則夫が、集団就職で上京してからも(最初は渋谷の西村フルーツパーラーに勤めて人一倍働いた)、異常なほどの人間不信で、何をやっても続かず、常に途中で逃げ続け、結局、兄弟のところや実家に戻るのは、やはり自分が得られなかった愛情や家族というものを貪欲に求めてたからなのだ(結局、憎悪だけが残るが)。

永山が起こした犯罪も、金目当ての強盗殺人ではなく、虐待した母親や兄弟たちへの、注目を引きたいための自虐的な“当てつけ”だったのだ。悲し過ぎるよね。

永山則夫の母親ヨシは、なんとなく前のカミさんの母親に似てる…。同じく東北(よそ者が来るとサッと扉を閉め隙間から覗いてるという勝手な俺のイメージ 笑笑)で、勉強以外は冷たく当たり、プチネグレクトな感じ。元カミさんは酷い統合失調症になったが、これも関係あるのかなぁ(泣)。

この、精神科医・石川義博氏による告白テープを基にした「永山則夫精神鑑定書」は長いこと日の目をみることはなかった。結局のところ、裁判では採用されず、永山則夫自身にも「自分の鑑定じゃないみたい…」と突き放されてしまった。

裁判で採用されなかったのは、凶悪化する少年犯罪に対する厳罰化(死刑)を実現したい(いわゆる永山基準)法務局側の力が働いたと見える。鑑定書を取り上げようとした裁判官が突然、別の裁判に回されたりしてるし。

永山も塀の中で知識を得て、当時流行ってたマルクス主義の、資本家が貧困を生み出したとのイデオロギーに被れたため、鑑定書を素直に受け入れることはできなくなったのだ。

しかし、たくさんの関係者が評価してるように、これほどの鑑定記録は他に例を見ない。こんなに微に入り細に入りトコトン心の内を探っていければ、なぜ少年が陰惨な事件を起こしてしまうのか、またそれを防ぐにはどうしたらいいのかがわかるだろうと思う。でも、犯罪を起こした少年一人一人にじっくりと時間をかけてこれだけの鑑定を行うのは困難だろう。本来なら、最低限の鑑定はやって、あとは社会に任せるべきだが、それは今はもっと難しいと思う。

この本に出てくる元裁判官が言ってるけど、「初めから裁判の結論は決まってる。結論を左右する鑑定は排斥するしかない。裁判は被害者の仇討ちの場になってる」、これが現実なのだ。

永山則夫は、塀の中で小説を書いて表現することによって、本来の人間らしさを取り戻しつつあった。家族を始め他者と全く関係することができず、自分の世界だけで生きざるを得なかった少年の感性はとても繊細で鋭く研ぎ澄まされただろうから、独り文章を綴ると言う作業はピッタリだったと思う。あれだけ冷たくされた母親とも、兄弟とも邂逅しつつあった。しかし、全てが遅かった…。

プチヒットした本の印税を被害者の遺族に送ってたが、出版社がごまかして、くすねてたため、大した額にはならなかった。遺族は最後まで受け取りを拒んでた。

前にNHKで同様の鑑定書のドキュメンタリーを見たが、改めて「罪を憎んで人を憎まず」を感じさせる良書だった。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。