「幻のB級!大都映画がゆく」

地元図書館の10円のリサイクル図書。

昭和の初期に、「大都(ダイト)映画」なんて映画製作の会社があったなんて知らなかった。

松竹、日活、東宝などのメジャー会社とは違って、いわゆる“B級”、三流のエクスプロイテーション・ムービーを量産してたらしい。

メジャーが50銭に対し、30銭と格安の入場料で、「楽しく、安く、速く」の大衆娯楽作品に徹し、チャンバラ時代劇やコメディ、アクション、冒険もの、そして国策映画など、1年間に100本以上もの映画を大量生産したという。後の戦時統合で、メジャーと合併してなくなった。

大都映画を作ったのは、土木建築業の河合徳三郎という人物。当時の“裏の社会”とも密接な繋がりがあった、地元の親分肌の豪傑だったらしい。頭山満の右翼団体、大日本国粋会の結成にも活躍している。

もう、定番の、そのスジの者が作った映画会社ではあるが、専属の俳優、監督、スタッフをちゃんと揃えて、とりあえず内容はどうであれ、当時の大衆に大ウケしたという。

大都映画は、最初から、映画🟰芸術作品なんて思ってない。B級三流と揶揄されても構わない、誰にでもウケる娯楽映画、通俗映画の製作と配給が狙いだったのだ。

1300本あまりと大量に作品を残したが、残念なことに、戦災でほとんど焼失してしまったという。残った作品は、撮影所があった東京・巣鴨にある博物館等に保存してあるらしい。

初代の美空ひばりは大都映画の専属女優だった。人気女優に、大山デブ子がいた。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。