「麻原彰晃の誕生」

智津夫の出生地は熊本・八代市なんだよねー。俺は上京していなかったけど、前に実家はここの社宅にあった。ちょっと前に、クルマで智津夫の家(畳屋)があったらしい通りを走ったが、球磨川が側を流れる長閑な田園風景が広がっていた。

智津夫は9人兄弟の7番目の子だったが、兄弟にも視覚障害者が多く、智津夫も左はほとんど見えなかった。実はこれは水俣病ではないかと疑って役所に申請したが却下されたらしい。

盲学校でも片目は正常だったため、幼少期から活発で、クラスでもジャイアンみたく同級生を従えてたという。これが、後の、教団を作って数々の事件を起こした萌芽がここに見られるといっても、このくらいのガキ大将的な行為は普通にたくさんあることで特別、異常なこととは思えない。

最初の問題は、やはり、ほとんど親が育児放棄で、反抗的だった智津夫を見限り、行きたくもなかった熊本市内の全寮制の盲学校に入学させた事にあったのではないかと思う。待遇があの永山則夫に似ている。

ここから異常な上昇志向、権力欲や虚言癖が始まってる。親や兄弟を見返してやるとばかりに犯罪行為も含めていろんなことに手を出していくのだ。

そして、簡単にお手軽に苦労せずに結果を得ようとして、ロクな修行らしきこともせずに、単に見せかけてスピリチュアルの世界にドップリと浸っていく。

どこかで幼少期からの片目が見えないという卑屈な疎外感が逆に他人を見下すようになり、自我を得るために金と権力を貪欲に追い求めるようになった環境が影響してると思う。

後々、大きな権力と金を手に入れた智津夫は肥大化した自我を満足させるために国をも自由にできるのではと大きな犯罪的カンチガイに陥ることになるが、善悪は別にして、簡単に社会を転覆させようとした幼稚な革命家であったことは間違いないだろう。まず犯罪で終わり成功するわけがないけど。

不思議な感じがするけど、“最終解脱”なんてありもしない概念にどうして惹かれるのだろう。そんなに簡単に答えが欲しいのだろうか。常に、悩みに悩んで、不安に苛まれ、様々な不満があって、いつまでも自問自答を繰り返してるからこそ“生きている”・“人生”なのに。それが終わる真の最終解脱は死ぬ時だよ。

智津夫は処刑されたが、オウムらしきものは別の形でもいつでも復活すると思う。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。