「虚ろな革命家たち」

かつて、人間性という観点から興味があった事案だし、連合赤軍のトップだった故・森恒夫のことがもっと深くわかるか、もしくは新世代からの事件に対する考えが示されるのかと思って、メルカリでゲットしたけど、残念、面白くはなかった。

著者の個人的な体験はどーでもええねん。アジト跡の写真もねえし。現カルト団体チューカクのインタビューなんかいらんねん。周りのインタビューもイマイチだし。

まあ、もうこの世にいない人物のことだし、難しいとは思うけどさ。

山本直樹の漫画「レッド」の方が面白いよ。

森恒夫に関しては、やはり本人が書いた「銃撃戦と粛清ーー森恒夫自己批判書全文」(新泉社)を超えるものはないねー。もう絶版なのかAmazonでもYahoo!でもメルカリでも、高値が付いとるやん。売らなきゃよかったぁ。

コレの、遺書となる最後の締め括りは、まるで三島由紀夫の「豊饒の海」の第4巻「天人五衰」のように、闘争の果ての、極北の深〜い「無」を感じたものだった。この後、すぐに縊死してるから、そう思ったのかもだが。

「一年前の今日の何と暗かったことか。この一年間の自己をふりかえるととめどもなく自己嫌悪と絶望がふきだしてきます。
方向はわかりました。今ぼくに必要なのは真の勇気のみです。
はじめての革命的試練ーーー跳躍のための。」1973.1.1

一連の連赤事件、特にあさま山荘事件と12名同志殺害事件は、当然、「共産主義化」などという突飛な空想サヨクイデオロギーなんぞ全く興味がなくて、閉塞された空間で発散した真の動物的人間性に興味を覚えて、書籍を中心に事件を追って来たのだ、俺は。つまり“業”の極北だな。

とにかく森や永田は、敵である国家権力のみならず、同じ組織内の人間や当時の左翼連中に対しても、尋常でない不安や恐怖と、それに裏打ちされた凄まじい敵意を抱いていたらしい。それが閉塞された極寒の地で大きくなって、残酷を残酷とは思わないリンチへと駆り立てたのだ。人間は誰でも森や永田のような素地を持っているものだ。

戦後の若者たちが先の大戦を否定しながら、結局、やったことは旧日本軍の行動や考えと同じようになってしまうのは、何かイデオロギーの持つ非人間性を示しているように思う。

森もそうだが、逮捕されてからのメンバーの中には宗教に救いを求めた者も少なくない。それは弱いからではなく、マルクス主義という唯物論的イデオロギーの中にドップリと浸っていても、人間は喜怒哀楽という感情がある限り、生死に接すると、宗教という概念を必要とするものだと思う。

だから、人間はイデオロギーを指針や目標、糧にしても、それで根本的に変わることはできないと思われる。

連合赤軍に参加した若者は、大学出が多く頭が良くて、真面目で純粋だったと言われることが多いが、ただただ“イタかった”だけだろう。

あの当時、小学生だった俺でも、革命なんて起こるわけがないじゃんと、事件を報じるテレビを見てて思ったし。

日本はもともと自浄能力が全くないから、変わるとしたら、外圧か天変地異しかないよ。

現在、残ってる左翼団体も、生き残りのためにカルト化、老人のために若者をオルグして引き入れるしかできなくなってるのだ。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。