【映画】「聖なる犯罪者」

2019年のポーランド・フランス合作映画「聖なる犯罪者(Boże Ciało)」(ヤン・コマサ監督)。

宗教と罪について考えさせられた良い映画だった。

内容は実際にあった事実を題材にしているらしい。

不慮の殺人で少年院に服役中の不良少年ダニエルは、前科者はキリスト教の聖職者にはなれないと知りながらも、神父になることを夢見ている。
仮釈放となって地方の製材所で仕事を得た彼は、ふと立ち寄った小さな町の教会で、新しく派遣された新任の司祭と勘違いされて、アル中を患った今までの司祭に入院中の司祭の代わりをお願いされる。
経験もない若いダニエルは、スマホでいろいろと調べて、教会でのミサに臨む。
最初は、司祭らしからぬ彼の説教に町の信者たちは戸惑うが、彼の飾らない正直な説教に、徐々に信者たちは信頼を寄せていく。
町では、数年前に起こった、たくさんの犠牲者を出した悲惨な交通事故で、今だに心に深い痛手を負った人たちがいることを知ったダニエルは、彼らを癒そうと奔走する。
そんな時、同じ少年院にいた不良仲間が現れて、全てをバラすぞと脅して大金をせびる。
すでに信者たちの信頼を得て、尊敬されてたダニエルは教会の説教で全てを正直に告白するが…。

ダニエルがいくら神父になりたくて勉強して徳を積んでも、教条的な宗教団体は決まりを重んじる。心の問題ではなくルールだからだ。

そして、いくら信者の信頼を得て更生しようとも、犯罪を犯した過去が追いかけてくる。ダニエルも最後は同じ少年院のボスとのケンカに巻き込まれて、また狂気が顔を出す。

やはり宗教とはルールに則って身を委ねて信仰するものではなく、心の内でそれぞれが“共感”するものだと思う。あくまで自分が主体となって。共感の仕方はそれぞれであってよい。多分、本当の始祖もそれを望んでいたのではないか。だから本来なら教義や儀式もいらないはずだ。

それに宗教者は全てにおいて寛容であるべきだと思う。善人も悪人も一般人にも。寛容で全てを受け入れることから宗教は始まると思う。排他的態度なんてとんでもないことだ。心の問題に教義や縄張り、排他的態度はいらないね。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。