【映画】「ガタカ」
ジョージ・オーウェルの「1984」みたいなSFデストピア映画「ガタカ(Gattaca)」(1997・米、アンドリュー・ニコル監督)。
人工授精と優等遺伝子によって優れた知能や外見、体力等を得た「適正者」と、今までの自然妊娠で生まれた「不適正者」に分けられた未来の人類。「適正者」は社会においても優位な存在であり、「不適正者」は肉体労働にしか就けずに差別される存在であった。未来は、遺伝子の優劣で人間の価値が判断される優生学を重んじる社会だ。
親の意向で自然妊娠で誕生した青年ヴィンセント(不適正者)が、幼い頃から夢見ていた宇宙飛行士(適性者しかなれない)になるため、闇のブローカーの手配によって、事故で車イスの障害者となった元適性者になりすまして、宇宙飛行士を派遣する会社にエリート社員として潜入、様々なトラブルに見舞われるものの、結局、宇宙に飛び立つという話だ。
優生学は、遺伝子等を改良することで優秀な人間を作り、社会の進歩を促そうとする運動だけど、例えば、親が、自分の子供をトップの学校や会社などに入れたいがためにいろいろと策を講じることの究極が優生学ということになるだろう。
遺伝子レベルで人間を改良することは神の領域かもしれないけど、実際には世界各国で取り組まれてることだ。
映画では、生まれた時に遺伝子を調べて、性格からクセ、社会性、さらに寿命から罹りやすい病気、死亡原因まで予想しているシーンがあるが、これも今の科学・医療技術だったら充分可能であるという。
ただ人間としての倫理観が歯止めになって行われることは今のところないけど、近い将来、映画のようになるかもしれない。
俺なんかウチのジジババの劣悪遺伝子を取り替えたいとは思うけど、様々な人間の才能に優劣を付けること自体がオカシな話で、それは全て個性なのである。
その個性がハッキリと出るのは人間のみである。社会はどうしても優劣を付けたがるけど、単なる違いに過ぎない。その違いを発達させてきたのが人間の文化であり、様々に形を変えた表現なのだ。
遺伝子自体に優劣はない。人間の遺伝・発展は、もはや肉体をベースにしたものではなく、社会や文化に置き換わっている。
適正者、不適正者の枠を超えて宇宙飛行士になる夢を叶えたヴィンセントだが、会社の適正チェックを誤魔化して他人になりすますというところに悲哀を感じる。
とてもシンプルで無機質だけど美しい風景や容姿端正な適正者、一方で人間臭いヴィンセントが必死に自分の存在を偽る…。多分、未来はとてもつまらないね。やっぱりデストピアだ。
脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。