「青春の墓標」
昔、持っていた本。格安古本で見っけ。
著者は、1943(昭和18)年生まれで、“団塊の世代”のちょっと上だが、安保闘争など初期の学生運動に参加して(樺美智子の死に影響を受けたらしい)、1965(昭和40)年に、21歳の若さで大量の睡眠薬の服用により自死した。彼の遺構集だ。
自殺した理由は、高校からの恋人との関係に苦悩してたといわれている。
彼女が「なぜ、中核派の女の子を好きにならないの?」と言い、著者が「君が好きだからさ」と答えたというくだりは、とても印象に残っていた。
恋人は、早稲田大学に入学してマル学同・山本派(=革マル派)に加盟し、著者は、革共同全国委員会・中核派に加盟したのだ。それぞれ党派は違っても、しばらくは交際を続けていたのだが、両派の抗争(内ゲバ)が激しくなるに従い、別れることになってしまったのだ。
「なぜ、中核の女の人を好きにならないの?」って、こんな残酷な言葉はなく、恋愛が党派で左右されるものではなく、それは違うだろうと思うが、遺構を読むと、著者の一方的な想いが強過ぎた面があるように思う。若さ故の愛することの押し付けだ。
死ぬ直前にも、恋人とのデートで、無理矢理キスをして一歩先に進もうとするが、「やめて」「ケルン・パーはやっぱりパーね」と拒否されている。
中核派の機関紙「前進」に載ったという意味のない論文などはどうでもよい。
「僕はこの頃恋愛なんて考えない。欲しいのは美しい女の子の肉感的な唇と顎と胸と腰だけだ。抱きしめて接吻すること。…女の子の身体を知れば、世の中のことが、もっとうまくつかめるようになるだろうなと思う」
「あの娘を想いながら自淫に耽る。つい30分前までは、『賃労働と資本』をむさぼり読んでいたのだ」
「ぼくのやるべきことは、彼女の手を取り、彼女の肩を抱き、彼女の唇にやさしく接吻することなのだ。だが、僕は話している真っ只中で、急に彼女を置いて帰りたくなってしまう。触るのも嫌になる。見るのも嫌になる。僕は彼女と話しながら別の女の子のことを考え始める」
「自淫は、幻想的な幸福ですらありえない。性器は、人間交通の媒介物である。性交によって、人間は互いに全的に交通する。精神的にも肉体的にも交通する」
「忘れないでいてほしいのは、中核派とか、革マル派があって、僕と君とがあるのではない。君と僕とが知り合ってから、互いに他党派になり合ったのだ。この分裂に無自覚なままこの分裂を止揚しようとしないで、一体君は何をしようというのだ。なんと君は不誠実なことか」
…などの日記を読むとホッとするね。
とにかく若けえな!
最後に、北小路敏が解説を記している。
脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。