「相模原障害者殺傷事件」

あの事件の植松聖被告へのインタビューと死刑が確定するまでの裁判の傍聴記録。負傷者26人、19人殺害という戦後最悪の大量殺人事件だ。

「(植松が)意思疎通が不可能と考える重度障害者は不幸であり、家族や周囲も巻き込んで不幸にする不要な存在と考えた。重度障害者を安楽死させる社会が実現すれば、彼らに使われてた金が他に使われるようになり、世界平和につながり、このような考えを示し実行した自分は先駆者になれる」というのが一応の犯行動機。

底が浅過ぎて軽薄で“風が吹けば桶屋が儲かる”みたいな荒唐無稽な話だ。

インタビューを読んでも、被害者や関係者に言葉で謝罪はしてるものの、この主張は一貫して最後まで変えてない。

植松は、小学校低学年の時に、「戦争をするなら障害児に爆弾を付けて突撃させればいい」とか、「障害児の親は疲れ切っていて大変だ」などと書いた作文を学校に提出している。

危険ドラッグやマリファナに手を出した時期もあるし、広範囲に刺青を入れてるが、表向きは、身近でありふれた、どこにでもいる若者なのだ。

インタビューや裁判でも、言葉は短く直情的、考えるよりもただ感情で話してる感じ。お礼や謝罪の言葉だけは気持ち悪いほど丁寧。まさにヤンキー的である。

俺は基本、死刑廃止論を支持する者だけど、こういう説得や改心、反省など、絶対に無理なんじゃないかと匙を投げるように思える犯罪者に対しては、どうしても死刑もやむなしと思ってしまう。

「植松のやったことは死刑に値するけど、重度障害者ってどうなの…こう思うことって誰でもあるんじゃないか?」と考えてる連中も決して少なくないから怖い。都知事時代の老害・石原も似たようなことを言ってた。

だいたい自然が生んだ、人間も含む生物に優劣を付けること自体がおかしなことだ。例え障害を持って産まれても生きていれば生きるべきだし、そこに優生思想などを持ち込むことが大きな間違いだと思う。

もし優劣を判断するとしたら、それは自然が決めることであるし、決して一介の人間がするべきことではない。

社会と政治はどうしても役立つ人材に価値を置く傾向にあるが、もちろん役に立っても良いし、役に立たなくても全然良いし、その必要もないのだ。

誰でも生きることに価値などない。生きているから生きるだけであって、そこから別に価値を見出すのは個々の人間の仕事なのだよ。

植松は、トランプの発言やたまたま観た映画が実行の後押しをしたといってるが、なんて浅はかで愚かでバカなのか。どうして安易に結論付けてしまうのか。

国賊犯罪者のアベもそうだけど、ネトウヨみたいなバカ連中がたくさん湧いて出て来たように、バカほど政治家のつまらない言葉に多大な影響を受けてしまうものである。

例え優生思想だって様々な関係書(ほとんどが批判だと思うけど)が出てるし、そういうものをテーマにした映画だってたくさんあるだろう。疑問を持ったなら、少なくともそういう表現に接してみるべきだし、たくさん思考を巡らすべきだ。たまたま触れたバカな政治家の発言やたった一本の映画だけに疑問も持たずに触発されるなんて。それで19人もの命が奪われたのだから怒りを通り越してやるせないね。

幼少期から植松に大きな影響を与えてる親に関してはどうなのだろうか。アキバ事件の加藤くんの親は早くからマスコミによって晒し者になってたけど。裁判でも一切両親が出て来ないね。漫画家だっけ?

もちろん内容は衝撃的なものだったけど、考えれば俺も普段しょっちゅうバアさんに腹を立て、こんな老人は犬猫以下ですでに人間じゃねえなぁと思ってるわけで、手を出さないだけまだ良いかもしれないが、親に関してだけは植松と似た考えがあるのかもしれんと自覚して愕然となっちまったよ。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。