機動戦士ガンダムSEEDが私の進路に大きな影響を与えていたって話(映画観て思い出した)

最近少し体調不良と精神不安定で更新できてませんでした。
(と言ってもそんなに書いてるわけではないですが……)

知和知和です。
しばし雑談にお付き合いを。

さて、私は今年で35歳になる。
中学13歳の頃は自分がそんな歳になるなんてまるで想像できてなかったわけだが、まあ時の流れというのは皆平等に流れているわけで、私は疑いようもなく、あれから22年を生きた。

そんな22年で何があったかと言えば、人並みに中学を卒業し、高校へ進学し、大学へ進学し、大学院にまで行き、そして社会人になって8年目で精神を破壊され、今に至る。今はまだリハビリ中である。

中学高校大学社会人と、いろいろと……、ほんとにいろいろとあったわけですが、
(友人に話すと爆笑されるようなエピソードがたくさんあるのが私の特技のひとつなのだが、それはまたそのうち話します)
今回はそのうちのひとつをお話しようと思います。

タイトルにもあるように私は13歳当時機動戦士ガンダムSEEDに出会って、毎週土曜日の夕方を楽しみにしていた。

毎週ひとつずつ発売される500円の低価格プラモキット(足関節と腕関節の動かないアレ)を小遣いをすべて使って買い、筆塗で毎週毎週一機ずつ仕上げていた。(この頃にシンナーの匂いが好きになってしまったのだと思う。中3くらいでシンナー中毒を教えるのは遅すぎると思う民)

14歳のクリスマスプレゼントには1/100エールストライクガンダムを買ってもらった。(たぶんあれが最後のクリスマスプレゼントだったはず)

もうね! もう毎日が楽しかった!

VHSに録画した1話はもう何度観たか覚えていない。
カガリの帽子が爆風で飛んで女の子だったときの驚きは今も色褪せないし、いかに噛まずに75mm対空自動バルカン砲塔システムイーゲルシュテルンって言えるか練習したり、なんでストライカーパックをを全部装備して戦わないんだと思ったり(のちのパーフェクトストライクガンダム)、どうしてストライカーパックひとつのために500円キットをまた買わされるんだと呻いたり、そんなふうに毎日楽しい日々を送っていた。

そんなふうに楽しんでいたSEEDシリーズだが、少年期の私にとって強いインパクトがあったのは、遺伝子操作によって生まれるコーディネイターという存在である。

この設定を見たとき、「この世は俺の独壇場! 本気出せばなんでもできるっしょ!」って無敵感バリバリだった私は「頑張れば俺にもコーディネイター作れるんじゃね!?」と思い込んでしまった。

おそらくは、たぶん。
私の原始体験に基づくならば、私が医学系を志して大学院まで研究に時間を費やしたのはこれがきっかけである。

そして、それがいよいよ転じて高校時代にエロゲにハマって、「試験管の中に美少女作りたい!」なんて妄想を誇大化させたわけである。

結局、大学ではがん研究と、細胞分裂、アポトーシスについての研究を齧って終わってしまった。コーディネイター以前に倫理観という問題についてもう少し考える脳みそが必要だったと思う。

なお、大学入試の面接はこれをマイルドに言って無事通過したわけだから、面接では人の内心や本性なんてこれっぽっちもわからないことがよくわかる。

そんな少年期の思い出を、劇場版ガンダムSEEDFREEDOMを観て思い出したという話でした。
いや、やっぱり22年も経つと自分も変わるけど、作品も変わっていくんだなあと思いました。すげぇ面白かったです。2回観に行きました。
ラクスとキラの間に子どもができるか問題で、監督が大丈夫って発言していて安心しました。これでコズミックイラももっと続けられるな!
(ここまで手なりで文章書いたけど、ここまで劇場版の話をしないとは自分でも思ってなかったよ!)

ラクスのパイスーフィギュアが発売したら買います〆

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