少年期 ~小学生時代~ その一

 私の全人生を見渡したとき、「最も精神的な裕福を得られた時期は?」
と問われれば、それは小学生時代ということになるのだろう。

 早く大人になりたいという願望を少なからず持ってはいたが、それ以上にそのときの現状に満足感を感じてもいた。

 小学生低学年の時期には、蝉で空を飛ぼうと試み失敗に終わり大怪我を負うことや、ひよこを口内に入れて窒息死させるといった不幸な事故もあったけれども、こと対人関係においては、はなまる良好を収めていた。

 小学生時代というのは運動神経が良いと注目を浴びやすい。
 足など速ければなお良い。

 小学4年生の時期には、クラス内の可愛い気になる女の子に片っ端から声をかけては告白紛いの「好きです」を繰り返していたし、そうした色恋に首を出す人間と認知されると、他人の人間関係についても情報が流れてくるようになっていた。

 誰それが誰それを好きでいるなどという情報は常に我が手中にあり、少なくない数その思いを成就させることにも成功をしてきた。

 さながら恋のキューピッドである。

 小学6年生にもなると遊び半分ながらも恋人と呼べるような相手がいた。
 このときは、これが私の人生で最初で最後の相手になろうとは予想だにしていなかった。

 彼女のことが好きだった。

 今でもはっきりと覚えている。

 長い時間と計略を巡らし、彼女を籠絡することに成功したときには、天にも昇るほどの喜びを得た。足の先から頭の先まで電気が走ったように痺れていた。

 彼女も私のことを好いているとはっきりと口にしてくれた。
 幸せと呼ぶべき時間だったのだろう。

 しかし、私は唐突にその関係に、こともあろうに私のほうから終止符を打った。

 相手に絶望したわけではない。

 相手に嫌われたわけでもない。

 変わらぬ関係性の果てに何も存在しないことを知って、変化のない幸せに大きな不安を覚え、彼女を拒絶したのだ。

 私にとって、好きになりどうやって相手と懇ろな関係になるか、その点にこそ見出す喜びがあり、その果てに手に入れたものを――どんなに苦労して手に入れたものだったとしても、それを陳腐なものとして見ていたのだ。

 私はどれだけ我が儘な人間なのだろうか。

 現在でもたまにその子の家の付近を通過することがある。
 表札の名前は変わっていた。
 小さな子どもを乗せる座席の付いた自転車が止まっていた。

 彼女が結婚した結果そうした生活の変化があるのか、それとも貸家故にすでに別の家族が住んでいるのか、それらは確かめようもない。

 ただ、なぜか心にずっと彼女のことが引っかかっている。

 今になって思うと、このときの浅はかな行為が尾を引いて、その後の人間関係に影響を与えているのかもしれない。ある種の呪いのようなものとして、私の胸の中に停滞している。

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