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ポン酢くらい普通に取ればいい

 「娘ちゃん、ポン酢取って」ダイニングテーブルについている夫が言う。リビングにいる娘は「えー、なんで~」と言う。そりゃそうだ。娘より夫の方が冷蔵庫に断然近い。そして冷蔵庫の一番近くにいるのは私。私に頼むのが一番早い。私はポン酢を冷蔵庫から取り出し、夫のいるダイニングテーブルにそっと置く。
 夫が娘に頼んだのは、私に声をかけることも、私の近くに自分に行くことも嫌だったからだ。夫は私がポン酢を置いたのに気が付いてはいるけれど頑として反対方向を向き、なかなかポン酢には手を出さない。
 今日は帰った時からダメだった。夫が先に家におり、私が娘の習い事を終えて娘と二人で帰宅した。「ただいまー」と努めて明るく言ってみたが、返事はなかった(または極小ボリューム)。私が部屋を横切ろうとすると夫は肩をすくめ部屋の隅に縮こまったポーズをとる。子どもたちと私が食卓につくと2階の部屋に上がってしまい、私たちの食事が終わり片付け始めた頃にようやく降りてきて食事を始める。そんな中でポン酢が必要になったようだ。
 この態度に傷付いてはいけない。「どうかしたの?」と声をかけてはいけない。私は悪いことなんてしていない。自分に言い聞かせる。1年前までは何とかしようとしてきた。私が気が利かないから、感謝を伝えられてなかったから、夫は怒っているのかもしれないと、私ができることを考え行動を取ってきた。でもそれは全くの無駄だった。どんどん私が削がれて弱者になってしまった。子どもにも、お父さんは正しくて偉くて、お母さんは間違っていてバカだと、伝えてしまっていた。
 私は基本的に平和主義者で、それなりに努力家で、夢見がちだ。だから自分を起点に動けば必ず良いことが返ってくると思ってきた。多くの場合それは正しいと今も信じているけれど、いつ誰に対してもではない。自分が脅かされる時は固く守らなければならない。良くなる努力をしないことは私に取っては相当苦しい。頑張る方が「私が出来ることはやっている」と思えて多くの場合メンタルが安定する。でもいくらやっても報われない時、徒労ばかりが残ることを身をもって感じた。夫との関係性において、私は微笑もうと頑張ってはいけない。
 夫は食事を終え、ソファーに突っ伏している。娘や息子に「我慢ももう限界」とか「お父さんは皆に嫌われてる」とか「いなくなった方が良いんや」とか言っている。小3の娘は明るい声で「娘ちゃんはお父さん好きやでー」と返す。娘にそんなこと、させてはいけない。死ぬとかいなくなるとか、気軽に使って良い言葉ではない。確かに夫は苦しんでいる。でもそれは夫の問題。家族を苦しみのサンドバックにしては未来はない。

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