week6-「まず行動」は内省あってこそ
半径5mからのマイクロチェンジメーカーを目指す、子連れMBAのチェンジメーカー・チャレンジ-Basic-。対話のスキル、時代変化、内省スキルを、知識として学習するのみでなく、メンタリングによって学びを深め、自分自身の価値観に則ったリーダーシップを発揮して周囲へも影響を与えていくための学びのプログラムです。運営として、プロセスエコノミー的に内容を明かしてみようかな(と言っても、私もモニターの一人でもあるので自分の経過がメイン)と、ということで、今回はweek6です。最初の1ヶ月は内省を中心におこなってきましたが、ここからやより行動「やってみる」につなげていくパートに移っていきます。
「やってみる」は結構得意。なんだけど…
人は価値観がもとになって行動を起こし、その行動によって結果が生まれます。では何か結果を出したいと思う時、根っこを思えば価値観が変わる必要性があります。でも、価値観や、価値観を形成する感情や経験を直接変えることは難しいです。だからこそ、価値観は変わらなくともまず行動を変え、それによって結果を出すと共に、新たな経験や感情を増やすことによって価値観を広げていくことが必要だと考えています。
コーチングでは必ず行動を約束するのも、目標達成に行動がなくてはならないものだということを物語っています。私は子どもの頃から、「やってみる」のは割と得意でした。こだわりが強くないのです。何故やるのかを追求するタイプではなく、周りから期待されれば「やってみる」自分で大事かなと思えば「やってみる」。楽しそうに見えてやることが許されるのであれば「やってみる」。でも最近、この「やってみる」が良い方向に働くのには、必須条件があると思っています。
学び生かすだけのスペースがあるか
早く失敗しろ。最近よく言われますよね。会社でもそういうことを聞くことはあります。でも本当は、失敗そのものが良いことではありません。それは当然。会社で不祥事があるとか、失敗のせいで命の危険があるとか、そういったことが歓迎されるはずがありません。失敗が歓迎されるのは、その次に生きるからです。失敗を糧に成長や成功に結び付けられてこそ失敗に価値があります。だから「やってみる」を振り返れるだけの余裕が必要です。week3で紹介したアクティブ・ノンアクションは、「やってみる」で覆われてしまい、内省ができていない状態といえるかもしれません。
過去の仕事での失敗
ずっと心に引っかかっている仕事での失敗があります。給与制度の改変です。時代に即していなかった制度をなんとしてでも変えようと上司と私2人で進めていました。あるべき論を大きく掲げて、そのための犠牲もあるような、そんな話でした。一人目育休の復職後、初めて人事という仕事に移った私は、上司の掲げる話に納得し、その実務を一手に引き受けていました。その中で私は一つ計算ミスをしました。そしてその時、私は忙しさに麻痺していたのかもしれません。ミスには自分で気がつき、正直に明かして謝りはしましたが、その修正の提案が、今思えば信じられないくらい失礼なものでした。事柄としてはその後上司とも話し収まりましたが、自分の仕事として今も恥ずかしいと思うし、そのお相手のことは今でも忘れられません。お相手とは遠隔できちんと話ができず、さらに転職してしまったから尚更なのかもしれません。思い出しては、一度きちんと謝りたい、と苦しく感じます。(許してほしいという身勝手な思いのような気もします。)
これは本当に、忙しいばっかりで自分の在り方に目が向いていなかった結果だと思っています。当時、新しいことに挑戦し、新しい知識を得て、「やってみる」ことがたくさんありました。学びはありましたが、内なる声を聞くという意味での「内省」はできていなかったと感じます。一つ一つ「やってみ」た結果(計算結果という意味ではなく、それによる反応や影響、自分自身の感覚)を注意深く観察する必要があります。
同じ轍は踏まない
チェンジメーカー・チャレンジ-Basic-はここから行動「やってみる」が中心になってきます。対話スキルを学び、「やってみ」ます。対話スキルもまた、「やってみる」ことが重要であると同時に、盲目的に行うと形式的になりがちな部分でもあります。少しやってみて、それによる影響や、自分の中での変化を観察する、そのことに意味があります。
私は1年前にコーチングを勉強し始め、「やってみる」をおこなっています。残念ながら失敗もたくさんです。特に家族のような近しい間柄に対しては。家族の言葉を聞こうとすればするほど自分の期待が出てしまったり、嫌がられてしまったり。でも良くも悪くも近しい間柄。終わりがないのです。何度でも内省し、響き合い、やってみるを繰り返しています。
「内省」しまくった休職期間
第一子だった娘が生まれた6年前、私は4ヶ月で復職しました。仕事がないと自分が壊れてしまいそうだったからです。第二子である息子は、1年を超えて休みをもらいました。本当に、自分と向き合い続けた休職期間だったように思います。仕事が好きであることには変わらないけれど、その仕事がなくなった時、自分と向き合うことができるようになっていたという意味で、私も成長できていたのかもしれません。
でも本当は、休職期間だけ内省するというのはおかしな話ですよね。むしろ仕事に関して「やってみる」の分量が多いのは復職した以降の方がずっと多いでしょうし、その意味で内省の必要性も高いに違いありません。保育園発表が来週に迫った今、私は内省をどう担保するかを必死で考えています。
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