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モラルハラスメントとまとめたいわけじゃ無いけれど

 (注)自分の記録と文章力向上のためにかなり私的でネガティブなことを書いているので、気分を害したく無い方は読まないでください。


 朝、洗いカゴが「カシャーン」とシンクに落ちる音が聞こえた。そのすぐ後に「あーー、もうホンマ最悪や」という声が続く。夫が食器を洗おうとして、シンクに引っ掛けるタイプの洗いカゴの留め具が外れ、カゴごと食器がシンクの中に落ちてしまったようだ。私は2階の寝室で布団を畳んでいて、しばらく降りない方が良さそうだ、と思った。息子が夫の近くにいて、「お父さんどうしたん?」と聞く。夫はすぐには返事をしなかったが、3歳の息子はしつこくもう一度「ねぇどうしたの?」と尋ねる。夫は苛立ちながら「お父さんが失敗するように仕向けられてんねん」と言った。
 一瞬固まった。それからぐっと力を込め「そんなわけ無いやん」と声に出した。負の感情が全身に巡っていく。小3の娘がパタパタと階段を上がってくる。「今のお父さんに聞こえてへんで」と、ただ事実を述べる、どちらかというと楽しそうなトーンで娘が言う。
 洗いカゴが落ちて、イライラするのは分かる。大きいとは言えない台所に食洗機を少し無理しておいているから洗いカゴは食器を入れにくい位置にある。私も何度か落としてイラッとした。でもそれを人のせいにするだろうか。
 異議申し立てをしないといけない。これまで、否定するのも面倒だから、イライラしてる最中に言ったって響かないのだから、そして私の置き方に問題がなかったとは言えないんだから、と放置してきたことの結果が今だ。言われたことが既成事実となっていき、徐々に自分が削られていく。こういった言葉の恐ろしさは言われた人のアイデンティティを揺るがすことにある。言われた人は、失敗を仕向けるなんてあり得ない!と思うと同時に、本当にそうなのだろうかと自分のモラルに疑いの目を持つことになる。他人の成功を羨むことはある。どこか妬ましい気持ちになって素直に喜べないことがある。それは他人の失敗を望んでいるのかもしれない。だとすれば、失敗を仕向ける私もいるんじゃ無いかと。そうやって、相手の指摘にも一理あるかもしれないと飲み込む。でもそうやっているうちに、段々と晴れやかな自分がいなくなっていく。
 何をどう伝えるのが良いだろう。子どもたちの前で言い争いはしたくないがLINEは全無視、部屋はロック、2人でじっくり話す場なんてない。じっくり話したところで伝わる相手でもない。話し合うのではなく、とにかくNOだけ伝えなければならない。「なんでそんなことを言うの?」とか「仕向けるわけ無いでしょ?」とかクエスチョンマークをつけてはいけない。会話のストロークを重ねても、私のアイデンティティがえぐられていくだけだ。
 子どもたちがテレビを見ている。夫は別の場所で座っている。私は夫の前に姿勢を伸ばして歩いて行った。「私は失敗するよう仕向けたことなんて1度もありません」と言った。夫はこちらを見ずに顎を小さく上げて、少し驚いたフリをして「そうなんや」と言った。私は続けて「被害妄想を子どもたちの前で言うのは止めて」と言った。夫はやはりこちらを見ず眉間に深い皺を寄せて「はい」と言った。
 全く伝わってはいない。でも直接言ったことについて、自分を褒めてあげよう。理解してもらおうとする試みはもう十分やった。でも徒労に終わった。正直にストレートに自分を表現することを続けてみよう。

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