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背中のシミで振り返った10代

 背中に小指の爪くらいの大きさのシミができていた。数週間前に気がついて、でもその時は肌荒れかな?と思った。今見ても全く同じようにそこにいて、触っても特にザラザラもしていない。おそらくシミだろう。前に肌荒れだと思ったのはシミであることを認めたくなかったからなのだろうと思い返す。荒れているならその周辺も何かあって、そんな1点のみなんてことはないはずだ。
 20歳過ぎた頃から、頬にあるシミを気にしていた。左の頬に濃くはないもののはっきりとした存在感でそこにあり、なんだかそれが顔全体の老け感とか、元気のなさにつながっている気がしていた。美容にお金や時間をかけるタイプの人間ではなかったけれど、ドラッグストアで手にするのは「シミ」とか「美白」とか書かれたものばかりだった。大学生の時に、大手訪問美容に通っているという友人の話に刺激を受けて、私もフランチャイズ店でで肌診断をしたことがある。その時に「顔のしみが気になって…」と話したら、美容部員さんには頬ではなく鼻にあるシミを指摘された。その時に初めて頬以外のシミに気が付いた。それなりにショックだった。気にするべきは頬ではなくて鼻だったのかと思ったし、自分で見ている部分と、他人から見て目につく部分は異なるということを知った。
 別にいつも気にしているわけでは決してない。でもふと、突然に、気になって仕方がなくなる。やれることをやらなくては気が済まなくなってくる。レーザーでのシミ治療を考えたけれど、私はケロイド体質(体についた傷が治った後も皮膚が作られ続け、傷口周辺がぶくぶく膨れ上がる)で、可能性は低いがレーザーによりケロイドになるかもしれないと皮膚科医に脅された。それでフォトフェイシャルという、レーザーよりもかなり弱いものを当てる美容医療も断続的に受けた(ズボラなので言われた通りの頻度や回数はできない)。皮膚科でもらうシミの塗り薬みたいなものもやってみた。やっている最中は相当に気にして、毎日鏡を舐めるように見ては全然変わらないとか、ちょっと薄くなったとか一喜一憂する。でも一区切りすると、一気に気にならなくなり、今度は白髪やらお腹の肉やら、全然別のところが気になってシミどころではなくなったりする。
 適当でズボラで大雑把。美容院に半年行かないことはザラにあるし、外に出ても休日はすっぴんであることも多い。それなのに案外容姿を気にしている。自分を醜いと思うことに耐えられない。おしゃれが好きとか綺麗でいたいというよりも、自分を嫌いになりたくないという感覚が強いと思う。私の中のルッキズム(外見至上主義)的な部分、なのかもしれない。
 小学生や中学生の時、私は自分が心底嫌いだった。真面目で勉強はできるけど運動が全くできなかった。こういう子は大抵暗くて友達が少ないものだ。休み時間みんなでワイワイ遊ぶとなればドッチボールやキックベース、ゴムとびとか、縄跳びとか、鬼ごっことか、そういうものになるのだが、それが私にはできない。「ちょっと苦手」ではなく「遊びの完全なる足手まとい」になってしまうのだ。そうなると引き気味になり、暗い、とされてしまう。なまじ努力家なので頑張ってみるのだが、やっぱり持って生まれたものには勝てない。そんな自分が嫌いだった。
 一方で私の容姿は頑張らなくても認めてもらえるものだった。ものすごく美人ではないけれど二重瞼がはっきりしていて、10代の頃は太らない体質だった(今は違う)。少なくとも容姿によってバカにされたことや、周囲に悪い印象を持たれた経験はない。
 小学生や中学生にとって、運動能力や容姿は、その人の人柄や友人関係に直接関係する。ちびまる子ちゃんでスポーツ万能な大野くんと杉山くんは人気者、容姿端麗な城ヶ崎さんや笹山さんも、やっぱり無条件に愛される。ルッキズムが当然のようにここにある。私は小学校、中学校期の関係作りに必要な2つの要素を1つ持っていて、1つ持っていなかった。(繰り返しになるが、決して美人でない)
 多分シミが気になるのは、ルッキズムに加えて、私が頑張らなくても持っていたはずのものを奪われる感覚によるものだと思う。力づくで奪われるのとは違う。持っていると思っていたのに、気づいたら「あれ、減ってる」みたいなそんな感じ。
 一方で、かつて手に入れられずに苦しんだ運動能力を考えてみる。アラフォーになった私は今、これで困ることはほぼ皆無だ。3歳の子どもが滑り台から落ちそうな時に瞬間的に支えられないとか、道に飛び出しそうな時に走って止められないとか、そういう怖さは今もガッツリあるのだが、少なくとも人間関係において運動能力不足が足を引っ張ることはない。大人になるにつれ、自分は自分の得意分野や心地よい分野で関係をつくれば良い状態になってきた。そう考えれば、老けて容姿が損なわれていく代わりに、嫌いな部分も「あれ、減ってる」状態かもしれない。
 シミを眺めてそんなことを考えながら、でも往生際の悪い私はまた美容医療を使ってみようか基礎化粧品を変えてみようかと考える。10代の頃、頑張っても手に入らなかった運動能力と頑張らなくても持っていた容姿。その時頑張ったら手に入ったのは勉強の成績だった。さて、このシミはどちらにいくのだろうか。運動能力のように頑張っても無駄なのか、勉強の成績のように頑張ったら報われるのか。老いには逆らえないと半分では思っていながらも、勉強の成績のように頑張ったら報われるのではないかという淡い期待も持って、私は足掻く。心の平安はなかなか訪れない。
 

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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