春のおとずれを、感じながら。
俳優・大杉漣さんがある番組の中でお話しされていた言葉が、深く自分の中におちた。
『例えば年間10本の仕事をしたとして、色々考えたら10分の1になるのかもしれないけど、でも、その瞬間っていうのは1分の1なんだと思う。これでなければいけないという条件が揃わないと出来ないということよりも、その条件にどうゆう風に自分が合わせるかっていうことの方が大事なんだと思う。』
その瞬間、瞬間の、ひとりひとりとの関わりを、どこまで深く尊く丁寧に繋ぎ紡ぐことが出来るか。
そのために、どこまで考え抜いて、動くか。
そして、それ自体を、心地良く、
ひとりひとりが分かち、楽しみ合えるか。
そんな空間を、どう生み出していくのか。
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ひとりひとりがそのままで、そのうえでそれぞれのカタチの多幸感をふと思い返した時に感じられる。
そんな空気と空間で、その誰かの大切な記憶となる時間をそっと包み込むためには、そこに在るひとりの人として自分は、どう在ればよいのか。どう在りたいのか。
もしかしたら、それは究極、「何も考えない」「何もしない」ことかもしれない。
では、そこにたどり着くためには。。
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『人は聴きやすかったり、見えやすかったりする方へ行きたがるのかもしれない。』
分かりそうで、真意の分からないことばかりだからこそ、追いかけていくのが楽しいなぁと思う。
たまに、くるしいなと思うことも無くはない。だけれど、それでもやはりいつもそれより奥にあるのは未知なものや人間に対する探究心や好奇心だったりする。
『66歳でも希望がいっぱいある』
その、生き方はとても輝いて見えた。
感覚だけに頼らずに、でも、時に煩わしく、時に愛おしく思える自分の感覚を大切にして、この春からまた自分なりに、生きていこう。
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