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『真景牡丹灯籠』(あらすじ)

【あらすじ】

 新進気鋭の浮世絵師、新三郎は、美人と評判のある商家の一人娘、お露の美人画の制作を依頼される。新三郎はスケッチのため何度かお露のもとを訪れるうちに、二人は相思相愛の仲になる。
 しかし新三郎には妻があった。妻は彼のパトロンである浮世絵の版元の娘であり、また彼は妻を愛していたので、作品が完成すると、お露のもとに訪れることは差し控えることとした。
 お露は新三郎のことが忘れられず、何度も女中をつかわして新三郎のもとに文を届けさせようとした。しかし彼は文を受け取ることを拒み、それを読むことはなかった。そうするうちにお露は病のために床に伏せてしまう。

 同じ頃、新三郎の妻も物病みとなり、数日後にあっけなく亡くなってしまう。新三郎は悲しみの中、四十九日を迎える。その翌日の夜、下駄の音とともに新三郎の住まいの戸口に立つものがいる。新三郎が戸を開けると、そこにあったのは牡丹の花を飾り付けた灯籠を手にした、お露の姿であった。
 妻を亡くした寂しさと、ふたたび思い出されたお露への愛おしさからか、新三郎はお露を中へ招き入れてしまう。その夜、二人は愛欲の限りを尽くしたが、夜が明ける前にお露は帰っていくのであった。
 その夜以降、お露は毎晩、新三郎のもとを訪ねてきた。そうするうちに新三郎はみるみるやつれていき、絵筆をとるのもおぼつかなくなってきた。その様子を見て心配した彼の友人は、一人の修験者を連れてきて新三郎の具合を看させた。その修験者が言うには、「新三郎の妻が亡くなったのはお露の生霊の仕業である。毎晩、新三郎のもとに訪ねてくるのもお露の生霊であり、その都度、新三郎の精気が吸い取られているので、このままだと数日のうちに死にいたるだろう」という。驚き恐れる新三郎に対し、修験者は「霊験あらたかな不動明王のご霊咒が書かれたお札を、家のすべての戸口に貼り、日が暮れてから明けるまでは決して開けてはならない。そうすれば生霊は家の中に入ることは出来ない。そうして七日間しのぐことができれば、生霊は精気を失って消え去るだろう」と告げた。

 新三郎はその日のうちに家のあらゆる戸口にお札を貼り、夜になると家の中に籠った。夜になるといつものように下駄の音が近づいてきて、中に入れてほしいと言うお露の声が聞こえるが、新三郎は怯えながら一晩中「南無阿弥陀仏」を唱えて、決して戸を開けることはなかった。一睡もできぬ夜が続き、新三郎はますますやつれていった。
 いよいよ七日目の夜、下駄の音を鳴らしながらいつものようにお露が訪ねてきて言った。「今夜、新三郎様と会うことができなければ私は消えてなくなってしまうでしょう。後生ですから、最後に一目、顔をあわせてください。」懇願するお露の声をふりはらうことはできず、ついに新三郎は戸を開けてしまった。
 翌朝、近所のものたちが目にしたのは、開けはなたれたままになった新三郎の家の戸と、その中で息絶えている新三郎の姿であった。世間のものたちは「新三郎はお露の生霊にとり殺されたのだ」と噂した。

【後日譚】

 新三郎が亡くなった後、お露の病状は奇跡的に回復した。ただその時点で身重になっていたので、そのまま家の外に出ることはなく、月が満ちて人知れず女児を出産した。その子はお露の「妹」として実家で育てられることとなった。
 新三郎にまつわるお露のスキャンダルは、彼女の周囲から終生、消えることはなかった。しかしお露は両親を助けて実家の家業の経営に専念し、明治維新の後にはいち早くその家業を生糸の輸出と木綿の輸入に転換し、両親の代よりもさらに家を繁盛させた。また、「妹」すなわち自身の娘に婿養子をとらせて事業を継承させ、その経営をさらに盤石なものとした。
 お露が新三郎のためにしたためて、結局読まれることのなかった文は、梅花の文様が施された壺の中に密かに仕舞われていたが、お露が亡くなる直前にすべて人目に触れぬよう、孫娘の手を借りながらお露自身の手で焼かれた。そしてその壺はお露の手から、孫娘である梅子の手に渡された。お露は生涯、未婚のままその数奇な人生を終えた。

【蛇足と注釈】

* 話の大筋は三遊亭圓朝作『牡丹灯籠』を下敷きにしているが、いくつか変更している点もある。登場人物の職業や、侍女のお米が登場しない点、新三郎に妻がいる点などであるが、大きく変えたところが2点ある。

* 1つ目は「お札はがし」の場面がない点である。そのため新三郎は自ら戸を開けたという筋となっている(演者によってはこの結末を取ることもある)。新三郎が戸を開けた理由はいくつか考えられるが、ひとつにはお露に懇願され、たまらず開けてしまったというのがあるだろう。あるいはお露との快楽が忘れられず、自分からお露を求めてしまったというのもあるだろう。私自身は、新三郎にとってこれは一種の「自死」だったのではないかという解釈を取りたい。新三郎は妻が亡くなった自責の念を感じており、加えて今宵、お露と会わなければ、お露の命も尽きてしまうと考えた。妻への贖罪と、お露までも死なせたくないという思いから、自分の命が無くなることを半ば知りつつ、戸を開けたのではないだろうか。

* もう1つの変更点は、新三郎の元に訪ねてくるのがお露の「幽霊」ではなく「生霊」であるという点である。すなわちこの時点でお露は生きているのである。生霊が登場する話は『源氏物語』の六条御息所の話が有名であるが、この場合は本人の意思とは関係なく生霊が勝手に出てきて、関係者に祟るというものであった。お露の場合も同様で、本人の知らないところで生霊が出てきているようである。

* しかし合理的に理解するならば、新三郎の死因は神経症による衰弱死ということになる。つまりお露の生霊はすべて新三郎の罪悪感が生み出した幻覚であったと理解することができる。新三郎の妻が亡くなったのも偶然に過ぎないかもしれない(1862年の麻疹の大流行が背景にあるのかもしれない)が、それをお露の生霊の仕業と信じたのはやはり新三郎の罪悪感によるのだろう。

* お露が娘を出産するのは新三郎が亡くなって間もない時期なので、お露が子を宿したタイミングは、新三郎が絵を描くためにお露に会っていた時であり、生霊が新三郎の元を訪れていた時はすでに身籠っていたこととなる。新三郎が会っていた生霊のお露は、やはり生身のお露ではなく、この時期のお露は家から一歩も出ていなかったというのが事実であろう。

* 新三郎の人物像であるが、妻がある身でありながら、モデルの女性と懇ろになるというのは、彼の卑怯で自分本位な性格によるものである。お露に対してけじめある態度をとれなかったのも、彼の人間的弱さを示している。しかしこうした弱さは多くの人が持っているものではないだろうか。『梅壺物語』に登場する男性の多くは、こうした人間的に未熟で優柔不断な人物である。

* タイトルの『真景牡丹灯籠』の「真景」は、三遊亭圓朝の『真景累ヶ淵』からの引用であるが、圓朝が「真景」と「神経」をかけてこの語を用いたのは有名な話である。明治の初めには「神経」という語が一種の流行語となっており、「幽霊など神経の作用で見る幻のようなものであり、怪談噺など時代遅れ」と批判されたことを受けて、圓朝が逆説的に「神経」の語をもじって自らの怪談噺のタイトルに付けたと言われている。なお私としては、『シン・ゴジラ』や『シン・エヴァンゲリオン』のニュアンスも若干、念頭にある。

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