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『梅壺物語』「桃の段」(あらすじ)

以下は2021年11月13日~25日に「AAA ANNEX GALLERY」(横浜)に出展した作品「梅壺物語」に添えた物語のあらすじです。

【あらすじ】

 時代は昭和初期。両親を早くに亡くした「桃」は、娼妓として遊郭に身を置いている。彼女の唯一の持ち物は一抱えほどの大きさの壺で、その中に母親から受け継いだ大切なものを仕舞っているという。
 馴染みである帝大生の「T」は、彼女が「決して覗いてはいけません」という壺の中身が気になって仕方ない。ある時、出来心を抑えきれずにその禁を破ってしまう。気が付くと「T」の目の前に居たのはまるで別人のような雰囲気を纏った「桃」であった。
 実はそこに現れたのは「桃」の母親である「梅」の亡霊であり、彼女が生前に辿った数奇な運命と、それを受け継ぐ娘の宿命について、語り始めるのであった。

 「梅」もかつて、「桃」がいるこの店の娼妓であった。彼女には馴染みの青年がおり、二人は将来を約束しあう仲になっていた。しかし青年はある日、忽然と彼女の前から姿を消す。その青年は九州のとある資産家の跡取り息子であり、「梅」とのことはただの遊びであったのか、それとも家族によって引き離されたのかは、定かではない。
 悲しみに暮れた「梅」は川に身を投げようとするが、すんでのところで一人の男に助けられる。彼は彼女を引き取り、郷里の東北地方の村に帰って所帯を持つこととなった。そこで生まれたのが「桃」であった。
 しかし「桃」の両親は、彼女がまだ幼い頃に流行り病のため相次いで亡くなってしまう。身寄りのない彼女は父親の親戚の家に引き取られて育てられたが、時代の波は彼女の運命を巻き込んでいく。経済は恐慌に見舞われ、さらに追い討ちをかけるように冷害による飢饉が東北地方を襲った。農村は疲弊し、娘を身売りする家が後をたたなかった。
 「桃」はこれまで育ててくれた家の恩に報いるために、自ら遊郭に身を売る決意をした。そしてはからずしもかつて母親がいたのと同じ店に身を置くこととなったのである。

 夢うつつのまま「T」は下宿先に戻り、「梅」の亡霊が語ったことを頭の中で何度も反芻した。そしてその日以後、なかなか「桃」に会いに行けずにいた。
 もちろん覗いてはいけないという約束を破った後ろめたさもあったが、それ以上に、あまりに「梅」の辿った運命が、今の「桃」の状況と似ていたためであったからだ。「T」はたしかに「桃」のことを想っていたが、「T」もまた家族や周囲の期待を背負って帝大に進学し、エリートの道を進むことを期待されている。そんな自分が、「梅」のかつての恋人と同じようになってしまわないと果たしていえるだろうか。また今、彼女に将来の約束をしようとしたところで、「覗いてはいけない」という小さな約束すら守れなかった自分に果たしてその資格はあるのだろうか。
 何日かたって、ようやく「T」はけじめをつけるべく「桃」のもとを訪ねた。しかし店の主人は「T」に、「もう桃はここにはいないよ」と告げるのであった。
 彼女は数日前に、ある裕福な商家の旦那に、二号さんとして身請けされていったという。そして「桃」はただひとつ、壺だけを店に残していったという。
 「この壺、あんたが引き取っていくかい」と主人は尋ねたが、「T」は首を横に振り、だまって店を後にした。
 その後、壺は店の座敷のひとつの床の間に置かれていたが、空襲によって店は全焼し、今となっては壺の行方は、誰にもわからない。

【蛇足と注釈】

* 「梅壺物語」のコンセプトは、モデルの梅田桃子さんを撮影した古民家にたまたま置かれていた壺に、梅の文様が施されていたことから、その壺をモチーフにした写真を撮影したことに始まる。ただし撮影時には「梅壺物語」のストーリーはまだ着想していなかった。

* 「見てはいけない」という約束を破るというのは、世界各地の神話や民話に出てくる共通したモチーフである。

* 前半には現在の状況が語られ、後半には亡霊によってその背景が語られるという物語の構成は、世阿弥が考案した「複式夢幻能」の構造を踏襲している。ただし「梅壺物語」には後日譚が付くため、「複式夢幻能」の構造にはなっていない。

* 舞台となる遊郭は、吉原のような大きなものではなく、玉の井のような庶民的な場所をイメージしている。

* 「桃」の本当の父親が、「梅」のかつての恋人であったのか、それとも「梅」と結婚した男であったのかはわからない。しかし「梅」にはわかっているはずである。

* 「桃」の両親が亡くなる原因となったのはスペイン風邪の流行(1918-1920)である。

* 東北地方を苦しめた経済の恐慌は昭和恐慌(1929-1931)、冷害による大凶作は1931年に起こったものである。

* 「桃」が裕福な旦那の二号さんになる道を選んだのは、彼女の自由意思によるものと思いたい。彼女は母親である「梅」と同じ運命を受け継ぐことを拒み、だからこそ壺を残して「T」の前から去ったのだろう。女性が自分の生き方を自由に決めることが難しかった時代において、彼女は自分の出来得る限りにおいて、自分自身の人生を選んだのだと思いたい。

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