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「豊志賀の死(真景累ヶ淵)」(18歳以上向け)

 江戸は根津の七軒町に住む豊志賀は、浄瑠璃の富本節の女師匠で、三味線を教えて生計を立てていた。年齢は37歳になるが、男嫌いとの評判で、これまで旦那をとったことはなかった。それでも器量良く年の割にも若々しい容姿であったので、男の弟子からも女の弟子からも評判が良かった。男の弟子の中には彼女の美貌に憧れて通う者も多かった。また身持ちの堅さから、花嫁修行として娘を弟子として彼女に預ける裕福な商家も多かった。
 さて豊志賀の家に出入りする者の中に新吉という21歳になる若者がいた。煙草屋の小間使いをしていて、豊志賀に注文の煙草を届けるついでに、さまざまな雑用も手伝っていた。豊志賀の弟子はみな通いで、住み込みの内弟子はとっていなかったので、ちょっとした家の中の力仕事などを手伝ってくれる新吉のことを可愛がっていた。
 そしてある日のこと。この日は風が強く、これから嵐になりそうな気配であった。いつものように煙草を届けにきた新吉は、豊志賀の家の、雨戸の建て付けが悪くなっているのを直すことを買って出た。だんだん風が強くなってきたので豊志賀が、
「新さん、嵐が来ると帰れなくなってしまうかもしれないから、キリのついたところでお上がんなさい。ごらん、今日は弟子も誰一人来ないので、稽古もなしだよ」
と言うが、新吉は、
「そしたらなおのこと、お師匠さんのことひとりにしちゃおけねえや。これを早く直して、お師匠さんに安心してもらわないと」
と答え、夕方になってようやく雨戸を直すことができた。
 するとちょうどその時から雨が降りはじめ、それはみるみるうちに激しい雷雨となった。
「新さん、今から帰るのはあぶないから、今日は泊まっていきなさい」
 豊志賀がそう言って引きとめるので、新吉はそのまま彼女の家にとどまることとなった。
 その晩、二人は夕食をともにし、外は雨風も激しいので早々に床につくこととなった。豊志賀は独り身なので家に布団は一組しかない。新吉は板の間の床で寝ると申し出たが、豊志賀が同じ布団に入るように強く勧めるので、ひとつ布団の中、たがいに背中合わせの格好で横になることとなった。
 新吉にしてみれば、豊志賀は母親といってよいくらい年が離れており、また世話になっているお師匠さんでもあったので、ひとつ布団に寝ることに緊張してなかなか寝つけなかった。また何といっても豊志賀は皆が憧れるほどの美人であるので、胸がどきどきしてますます目がさえてきたのであった。何しろこの時の新吉は、まだ女を知らない童貞であった。
 しばらく目をつぶってじっとしている新吉であるが、やがて豊志賀の背中が自分の方にすり寄ってくるのを感じた。遠慮した新吉は身体を反対側に寄せたが、なお豊志賀の身体は新吉の方へと寄ってきた。
「新さん、そんな端の方に行ったら、布団からはみ出ちまうよ……」
 豊志賀がささやくように言うので、新吉が振り返ると、いつの間にか豊志賀は背中向きではなく新吉の方に向いた姿勢で横になっていた。驚いた新吉はとっさに身を離そうとするが、それより先に豊志賀が新吉の背中に取りすがった。
「もっと近くに寄っていいんだよ、新さん……」
 新吉は胸がかっと熱くなるのを感じた。豊志賀はそのまま新吉の首筋にくちびるを押し当てた。
 かくしてその夜、二人は文字通り、一夜をともにしたのであった。

 その日より豊志賀はますます新吉のことが可愛くて仕方なくなった。何度も用事を作って呼びつけているうちに、ずっとかたわらにいてほしいと思うようになり、ついに奉公先の煙草屋と話をつけて、住み込みの内弟子として身元を引き受けることとなった。新吉も、美しく初めての人であった彼女の元で生活できることを喜んだ。
 しかしこうなって面白くないのは他の弟子たちである。男の弟子にしてみれば、豊志賀の女としての魅力に憧れて通っていた者も多かっただけに、この若い恋人の出現が愉快なはずがない。その上、だんだんと豊志賀が人目もはばからず新吉とじゃれあうようになったので、見ていられないとばかりに、ひとりふたりと辞めていった。
 それは女の弟子にしても同じであった。豊志賀の評判のひとつはその身持ちの堅さであったのに、今では若い恋人にうつつを抜かしていると噂されるようになったので、次々と親たちは娘に弟子通いさせるのを辞めさせた。そうしてまたたく間に豊志賀の弟子はほとんどいなくなってしまった。
 そんな中、小間物屋の羽生屋の娘のお久だけは相変わらず稽古に通い続けた。お久は若くて小柄な色白の娘で、年も新吉に近かったので、新吉とも仲良く打ち解けた。新吉は内弟子とは言っても三味線はまったく弾けなかったので、豊志賀の家ではもっぱら雑用をこなしていたが、時にはお久も一緒にそれを手伝いながら言葉を交わしたり、それぞれ別なことをやっている時も互いに顔を見合わせて微笑んだりするようになった。
 そうすると今度やきもちを焼くようになったのは豊志賀の方であった。稽古に通うお久に対し、豊志賀は厳しくあたるようになった。しかしお久はそれでも辞めずに辛抱して通い続けた。お久にしてみれば、新吉に会うのも楽しみであったが、それ以上に、豊志賀が厳しくあたるのは自分を鍛えようとする親心からであると思っていたのであった。
 豊志賀のやきもちはますます深まり、新吉に対してもきつい態度をとるようになり、痴話喧嘩することも増えていった。
 やがて豊志賀の目の下ににきびのようなできものができ、ずきずきと痛むようになってきた。それがそのうちどんどん膨れ上がり、半月も経つと顔の半面に紫色に広がっていった。一方の目が腫れふさがり、櫛ですくと髪の毛が次々と抜け落ちていった。痛みも激しくなって、食べ物も喉を通らなくなり、ついには病の床に就いてしまった。
 新吉は薬を与え、甲斐甲斐しく看病するが、そうした新吉に対して豊志賀は恨み言を言うようになった。
「新さん、お前さんがあたしを捨ててお久と一緒になったら、あたしはお前さんを取り殺すよ」
 最初は病のせいで気も病んでしまったものと、新吉も我慢してそれを受け止めていたが、豊志賀がこんなことを毎晩毎晩繰り返し言うようになったので、新吉も心が折れそうになってきた。そこで大門町に住む叔父の勘蔵に相談して、下総の叔母のところへ逃げようかと考えるようになった。

 ある晩、豊志賀が寝たのを見計らって、新吉はこっそりと家を抜け出し、叔父の勘蔵のところへ向かおうとした。するとそこでちょうど提灯をさげたお久と出会った。見るとお久の顔は泣き腫らしたようになっているので、訳を聞こうと近くの寿司屋の二階の座敷に入った。
 聞くと、お久は義理の母親から辛い仕打ちを受けているのだという。だから豊志賀の家に通って稽古を受けている時が自分にとって唯一、心が休まる時だったという。しかし今となっては豊志賀も病の床について稽古に通うこともできなくなり、もはや自分の居場所はどこにもないと言って泣くのであった。
 そしていっそのこと、下総の羽生村の叔父の家へ逃げたいと思っているのだが、女ひとりでは叶わぬことだと打ち明けた。それを聞いて、まさに自分も下総の叔母の家に逃げようと考えていた新吉は思わず、
「お久ちゃん、俺と一緒に逃げよう」
と告げた。
 お久はそれを聞いて、
「新吉さん、ほんとう……?」
と潤んだ目でまっすぐ新吉を見つめてきた。二人の距離は縮まり、新吉はそのままお久の肩に手をかけ、彼女を引き寄せようとした。
 すると次の瞬間、お久の顔の半分が紫色になり、
「新さん、裏切るのかい……」
と言って、新吉の胸倉をぐっと掴んだ。驚いた新吉は慌てて寿司屋を飛び出し、叔父の勘蔵の家へと逃げ込んだ。

 不意の新吉の訪問に驚いた勘蔵はこう告げた。
「新吉、何があったんだい?ちょうど今、豊志賀さんの乗った駕籠がうちに着いたところだぜ」
 新吉は驚いて、奥の間の障子を開けると、そこにいたのは紛れもない豊志賀その人であった。豊志賀はものすごい形相で新吉を見つめる。そして、この身体が治ったら新吉には好きな嫁を貰わせるので、もう少しの間だけ自分と一緒にいて欲しいと言った。
「すまねえ、お師匠さん……今日のところは家に帰って、休んでくだせえ。大事な話は明日の朝にゆっくりいたしやしょう」
 そう言って新吉は豊志賀に帰ってもらうために、勘蔵に頼んで駕籠を呼んでもらった。新吉は豊志賀を抱え上げて、駕籠の中に入れた。
 とその時、勘蔵の家に向かって一人の男が息を切らして走ってきた。見ると近所に住んでいる男である。その男が新吉に告げるには、なんと今しがた、豊志賀が死んだというのだ。床から起き上がり、台所に水を飲みに行くところで、転んで流しの角に顔をぶつけ、右の目が飛び出しているという。
「そんな馬鹿なことがあるか!」
 新吉は驚いて返した。現に豊志賀はここに来ているではないか。勘蔵が駕籠の引き戸を開けると、そこには豊志賀の姿はなかった。先ほどまでここにいたのは豊志賀の幽霊だったのだ。
 新吉と勘蔵、そして近所の男の三人は、急いで根津七軒町の家に向かった。そこで見たのは、近所の男が言ったとおりの、豊志賀の変わり果てた姿であった。
 新吉は豊志賀が寝ていた布団の枕元に書置きがあるのを見つけた。そこには、
「お前さんほど不人情な人はない。あたしはお前さんを呪って死ぬ。お前さんが女房を持ったなら、七人まで取り殺すからそう思え」
と書かれていた。新吉は慌ててその書置きを懐に隠した。
 その晩のうちにあわただしく豊志賀の通夜がおこなわれ、翌日には寺の坊主を呼んで経を上げさせた。
 初七日の日、新吉は豊志賀の墓に線香をあげていると、そこにやってきたのはお久であった。共に線香をあげて祈り、そのあと新吉は寿司屋から突然逃げ出したことをお久に詫びた。お久はあらためて、下総の羽生村に逃げたいと話すので、新吉もこのままお久を連れて駆け落ちしようと決意した。
 二人はその足で江戸を出立し、江戸川を越えて松戸にいたったところで日が暮れたのでそこで宿をとることにした。宿の者は二人を夫婦と思ったので、ふたつの布団が用意された一間に二人を通した。
 新吉が別々の部屋を用意できないか宿の者に尋ねたが、あいにくこの日はどこの部屋も埋まっており、それは他の宿でも同じだろうとの答えであった。
「新吉さん、私は大丈夫」
とお久が言うので、二人はその部屋に泊まることとなった。

 少し間を開けて布団を敷き、灯を消して二人は床についた。さすがに若い娘が隣で寝ていると思うと、新吉もなかなか寝付くことはできなかった。
 振り返って見ると、お久も寝付けないようで、どうやらかすかに震えているようだった。お久にしてみれば、一大決心をして家から逃げ出してきたので、今になって自分のしでかしたことに怖くなってしまったようであった。
「……お久ちゃん、大丈夫?」
 新吉は起き上がってお久をのぞきこみ、そっと声をかけると、お久は、
「ごめんなさい、起こしちゃいましたね…」
と言い、新吉を見つめた。
「怖いかい?」
と新吉が聞くと、お久は、
「……大丈夫」
と言うものの、そのままかたわらに座る新吉の膝に取りすがってきた。
 新吉はお久の背中に手を当ててしばらく優しく撫でていたが、むくむくと下半身がふくらんでいくのを抑えることができなかった。ついに新吉はお久の肩に手をかけると、そのまま布団に押し倒してお久のくちびるを奪った。お久の口からは、あっ、とかすかな声が漏れた。
 そのまま新吉はお久の上に覆いかぶさり、彼女の身体をまさぐった。浴衣がはだけ、小ぶりな胸があらわになった。白い肌には青白い血管が透けて見え、桜色のつぼみがつんと立っていた。新吉がそこにくちびるを寄せると、お久は小さく悲鳴を上げた。
 新吉はさらにお久の浴衣をめくると、彼女の下半身があらわになった。恥丘には体毛はなく、秘部は一本の筋を引いたような有様であった。新吉は、同じ女性でも人によってその様子は違うのだなと思った。豊志賀の秘部は、あわびの身を思わせるような、充血したひだが割れ目からはみ出していた。豊志賀と交わるとき、その秘肉が新吉の男性自身にまとわりついて、えも言われぬ感覚を与えてくれたのであった。
 新吉はお久の白くて細い両脚の間に身を入れ、秘部にむしゃぶりついた。舌を割れ目に這わすが、そこは堅く閉じられたままなので、今度は指を這わせた。その入り口に指の腹を当てると、中は潤っている感覚があったので、そのまま指を奥に差し込んだ。お久は、
「うっ……」
と声を上げ、痛みに表情がゆがんだ。さすがに入り口はきつかったが、中は柔らかく、新吉の指先にはざらざらした感覚が伝わってきた。
「ごめんなさい、私、初めてなの……」
 お久は目に涙をためて新吉を見つめながら言った。
「すまねえ、痛かったか?」
 新吉が聞くと、お久は首を横に振って、新吉の顔に手を当てて撫でた。
 新吉にしても、女を知ったのは豊志賀が初めてであり、他の女と交わったことはこれまでなかった。まして処女の娘を相手に、どうしたら良いのか戸惑いつつも、これまでになく高揚した気分につつまれていた。
 新吉は怒張した男性自身をお久の秘部に当てがった。新吉がお久の中に入っていこうとすると、お久は、
「ううっ……」
とうめき声を上げた。その秘部の入り口は堅く閉じて、新吉が入ってくるのを押し返そうとしたが、新吉は腰に力を入れたので、新吉はお久の中に一気に入っていった。お久の未熟な秘肉は容赦なく押し広げられ、そこに破瓜の血がにじんだ。
 新吉は、生娘であったお久の身体を征服し得たことに興奮が高まり、下半身に快感が波のように押し寄せてくるのを感じた。
「お久ちゃん……!」
 新吉はお久の細い身体を抱きしめると、精を何度も彼女の中に注ぎ込んだ。
 しばらく二人は身を合わせたまま、動くことができなかったが、やがて新吉はゆっくりとお久から身を離した。お久の秘部から新吉の男性自身が抜ける時にお久は、あっ、と声を上げた。ぽっかりと穴が空いたように口を開けたままの彼女の秘部からは、破瓜の血と新吉が放った精が混じったものがとろっと流れ落ちた。

 翌日の朝、二人は松戸の宿を出て、羽生村に向かって旅を続けた。当初は一日あれば羽生村まで着けるとふんでいたが、起きるのがすでに陽が上った後だったのと、旅歩きに慣れていないお久にとっては長い旅路であり途中で何度か休憩をはさむ必要があったために、思いのほか遅くなってしまった。そして羽生村の手前、累ヶ淵と呼ばれる鬼怒川の土手に辿り着いたところで陽が落ちて、辺りはすっかり暗くなってしまった。その上、雨がポツリポツリと降り出し、稲光が光った。
 お久は怖がって新吉に抱き着いた。とその時、お久は足が滑って土手の上からツルツルと滑り、川原の草むらに落ちてしまった。しかも運悪く、そこに草刈鎌が落ちていたため、お久の膝の上のふとももに刺さってしまった。
 新吉は刺さった鎌を抜くと、手拭いでお久の足を縛った。手拭いはみるみる赤い血で染まったが、強く縛ったので幸いにも出血は止まったようだった。
 新吉は落ちていた鎌を腰に差した後、お久を背負って、ふたたび歩き始めた。お久は新吉の背中にしっかりつかまっていたが、しばらくして新吉の耳元で、
「どうか私を見捨てないでくださいね」
とささやいた。
「見捨てる訳、ねえじゃないか」
 新吉はそう答え、お久の方を振り向いた。するとお久の顔の半分は紫色に変わっており、その目は飛び出していた。それはまぎれもなく死んだ豊志賀の顔そのものであった。
 驚いた新吉は背負っていた彼女を振り落とした。彼女は這いつくばりながらも、恨めしそうな顔で新吉をにらみつけてくる。新吉は思わず腰に差していた草刈鎌を手に取り、彼女の首筋めがけて振り下ろした。ばっくりと傷口が開き、そこから鮮血が吹き出した。その時の彼女の顔は、もとのお久のものに戻っていた。
 お久の返り血を顔中に浴びた新吉は、鎌を手にしたまま、その切先をじっと見つめていた。稲光が光り、血に染まった鋼の刀身がきらっときらめいた。その様子をしばし、うっとりとした表情でながめていた新吉であったが、雷の轟音で我に返った。すると急に怯えたような表情になり、手に持った鎌を投げ捨て、慌ててその場から走り去っていった。雨はさらに強くなり、血に染まったお久の白い肌の上に、雨粒が激しく打ちつけた。

【注釈】

・ 『真景累ヶ淵』は三遊亭圓朝(1839-1900)が創作した落語(怪談噺)であり、江戸時代に流布していた「累ヶ淵」の説話を下敷きとしている。「累ヶ淵」の説話は、下総国羽生村(現在の茨城県常総市羽生町)近くの、鬼怒川沿岸の地名である累ヶ淵を舞台として、お累と呼ばれる女性の怨霊と、それを供養する祐天上人(1637-1718)の物語である。これを元にして圓朝は数世代にわたる長大な因果応報の物語を作り上げた。あまりの大作ゆえに、物語が通しで語られる事は難しく、終盤の「お熊の懺悔」まで語られたのは圓朝以後は桂歌丸(1936-2018)だけだと言われている。 

・ 「豊志賀の死」は『真景累ヶ淵』の中でも最も有名なエピソードのひとつであり、今日でも読み抜きの形でしばしば高座で演じられる他、歌舞伎でも演じられたり、映画化されたりしている。他にも、すべての物語の発端であり、旗本の深見新左衛門が金貸しの鍼医皆川宗悦を切り殺す「宗悦殺し」、深見新左衛門の長男新五郎が皆川宗悦の次女お園に片恋慕し、強引に犯そうとして誤って殺害してしまう「深見新五郎」、新吉が羽生村でお久の従姉妹のお累と出会ってから、最後は因縁の鎌でお累が自ら命を絶つまでの「お累の婚礼」「お累の自害」などが有名な話である。

・ 本編では語られなかったが、豊志賀の父親は皆川宗悦、新吉の父親は宗悦を斬殺した深見新左衛門であり、実は二人は親の仇敵同士であった。本人たちはその身の上を知らないままであったが、そうした世代を超えた因縁が悲劇を引き起こしていくというのが『真景累ヶ淵』のテーマである。

・ 豊志賀が教えている富本節は、浄瑠璃の一種で、常磐津から派生して江戸時代の安永・天明の頃(18世紀頃)に人気を博した。後に富本節から清元節が派生した。艶麗で繊細な節回しを特徴とするが、清元節が隆興するとともにその勢いは衰えた。

・ お久はこの物語では最もイノセント(罪のない、無邪気)な人物であり、悲劇の張本人であると言える。しかし彼女の存在が一連の悲劇を引き起こす原因となったことも否めない。彼女がもう少し世間というものを知っており、豊志賀と新吉の関係に気をつかうことができれば、こうした事態にはならなかったかもしれない。やや厳しい見方をするならば、それが彼女の「無知の罪」であったと言えるかもしれない。

・ 新吉もまた、この物語の当初は無邪気な人間であったが、豊志賀を死にいたらしめ、さらにはお久を手にかけ、暗い人生へと転がり落ちていく。この後、お久の従姉妹のお累も死にいたらしめ、さらに人を次々と殺めていくという悪の道を進むこととなる。人間の暗黒面を、その背景にある因果応報を絡めて描写していくのが『真景累ヶ淵』の醍醐味のひとつでもある。

・ 『真景累ヶ淵』はもともと正本芝居噺の形式で上演されていた。正本芝居噺とは、背景画が描かれた大道具や、笛や三味線などのお囃子を用い、クライマックスの場面になると噺家は膝立ちになり見栄を切るなどの芝居の所作を披露する形式の演出法である。「豊志賀の死」の最後のお久殺しの場面では、凄惨な殺人の様子を芝居の立ち回りの様式美で表現しており見所となっている。現在、正本芝居噺のわざを継承しているのは林家正雀(1951-)ただ一人となっている。

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