オランダの女の子と文通していた田舎の公立高校生1990年〜2021年現在

私が田舎の公立高校生だった1990年の夏、一年の時に福島県に欧州各国から高校教員達の視察団が来て福島県内の高校を訪問した事があった。

その時、私はなぜかは忘れたが、欧州訪問団歓迎夕食会レセプションに生徒代表かなんかで出席させて頂いた。

その時、隣に座って仲良くなったオランダの先生から「あなたと同じ歳の私の生徒と英語で文通をしませんか?」と声をかけられた。

私は、辞書を引き引き英語を書いて文通するなんて大変だと思い  No, No, No Thank you! とアタフタしていたら、すぐ隣に座っていた当時英語教科担当だったK先生が「本田君、やりなさい!」と言われてわかりましたとその場で最初の手紙とやらを開封したら綺麗な字で書かれた上手な英語と同封されていた可愛い栗色の髪の目がパチクリした女の子の写真を見て「わかりました、Pen pal Ok やります、Yes Yes!」と私の一ヶ月に1回程度のオランダの女の子、ティナとの文通が始まりました。

高校三年間ほぼ毎月1回エアメールで文通をして、やっぱり同世代とは言え、オランダの女の子ですから書く事が大人に感じましたし、キスマークやらハートマークがたくさん付いた手紙を貰うとやはり田舎の高校生としては嬉しいものがありました。

ティナからはクリスマスやイースター、バレンタインにはカードの交換、オランダの木靴のプレゼントを頂いたり、見たことのないキラキラしたお菓子やチョコレートが届き、本当にオランダの女の子と文通をしていてよかったと思いました。

私は高校卒業後渡英し、その後、アメリカに移るなど住所が毎年複数回変わる中、1997年に私がアメリカで大学を卒業するまで文通はなんとか続きました。

当時インターネットが1995年に登場し、私も1996年くらいからEメールのやり方を覚えて、1997年くらいからはエアメールではなくティナとはEメールでやりとりをするようになりました。

1997年に渡仏してからはお互いにフランス東部の田舎とオランダの南部の田舎という事で、同じ大陸にいる訳ですから、お会い出来るタイミングもあったように思いますがこちらが都合の良い時は向こうが忙しく、向こうが都合の良い時期にちょうど私の出張や日本一時帰国があったり、やはりすれ違い、そのうち会えるだろうと思っていたのですが、私は2004年に政界を目指して急遽帰国。結局最後までお会い出来ませんでした。

あれから時代は変わり、特にやりとりを毎月する事は今はなくなりましたが、2010年くらいにFacebook でつながる事が出来て、たまにお互いの投稿にいいね!を押し合っています。

今その彼女が結婚されて可愛い子供に囲まれている写真が時折タイムラインに流れてきますが、あの栗色の髪も、クリクリした目も、そのままソックリの娘さん達を見ると人生の流れを感じます。(2015年7月ブログより転載)

2021年追記 
その彼女は今、難病と戦っているとの事。遠い日本からお見舞いメッセージを送り、想いをはせています。

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