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「測定」の魔の手に囚われる私たち 【ジェリー・Z・ミューラー著 『測りすぎ ーなぜパフォーマンス評価は失敗するのか?』】

私たちが仕事を行うときに必ずといっていいほどつきまとうのは、

「パフォーマンスの測定」だ。

ジェリー・Z・ミュラー著の「測りすぎ」の原文のタイトルは「The Tyranny of Metrics」、つまり「評価基準の圧政」私たちは「評価基準に囚われてしまう存在である」ということを現している。

よくあるパフォーマンス評価

よくあるパフォーマンス評価であり、しかも様々な問題を巻き起こしているものは以下の通りだ。例えば、

・共通テスト

・外科手術の成功率

・企業の利益

それぞれが本当によくある。ただし、巻き起こす被害は甚大だ。

共通テストが伸ばす「測定の魔の手」

共通テストの話で有名なのは、イギリスの全国共通テストの失敗例だ。

各学校のパフォーマンスを「共通テスト」の結果で計測しようとしたイギリス政府。学校と学校で競争を煽ることで、全体の学力の向上を図ろうとした。しかし、この政策は失敗に終わった。それはなぜか。

「テストの対策をすべての学校が行い始めた」ためだったのだ。

日本の受験産業もまさにこれだ。「テストの対策」をすることが、最も中学入試や高校入試、大学入試に効果を発揮するのだ。

日本の教育構造もこの「入試の問題」によって「学習のパフォーマンス評価」から逃れることはできない。本質的な学びはそっちのけになってしまっている現状は自分が小学生のとき、いやもっともっとその前から続いているのだ。

外科手術の成功率が伸ばす「測定の魔の手」

外科医の評価に「外科手術の成功率」を用いたらどのようになるのだろうか。少し頭を使ってみるとよく分かる。それは、

「助かる可能性の低い患者の手術を避ける」ことになる。

多大なる倫理的な問題をはらむこの魔の手に、ジェリー・Z・ミュラーは切り込む。単純なはなしではあるが、助かる可能性の高い患者ばかりを手術すれば成功率も飛躍的に上がるだろう。

この戦略のことを「クリーミング(上澄みすくい)」という古典的な戦略であり、手術を受けられない重篤な患者は確実に死んでしまうという代償がある。

企業の利益が伸ばす「測定の魔の手」

当然のことながら、企業の利益はその企業のパフォーマンスの評価になる。しかし、あまりにも「利益への執着」が強すぎるときには、甚大な悪影響を巻き起こしてしまう。

マイランというアメリカの製薬企業が販売していた「エピペン」2007年に取得した権利をもとに、多くの重いアレルギーを持つ患者が必要とするこの薬の薬価を二倍以上に引き上げた。

なぜそうしたかというと、裏で手を引いていた銀行のちからがあったからだったのだ。

企業の利益を追求させる構造的な問題が、倫理的な問題にまで拡大してしまった形になったのだろう。

測定への執着

当然のことながら、測定することによって今まで見えていなかった価値がわかるということはある。私の好きな「マネーボール」に代表されるように、統計学によって発見される新しく有用な情報があることは間違いない。

しかし、パフォーマンス評価を始めることによって、「測定への執着」が強く働き、私たちは評価に合わせた対策や行動をしてしまうことがある。


説明責任の怖さ

説明責任(アカウンタビリティ)は 「ア カウンタ ビリティ」つまり「カウンタブル」、「数えられるかどうか」という意味だ。

測定執着の思わぬマイナス面を被らないようにするためには、

「どの情報を知りたいか」ということに注意し、

「目標や目的のズレが生まれやすい」ことを認識しておく必要があるだろう。

ただ続けることを目的に、毎日更新しております。日々の実践、研究をわかりやすくお伝えできるよう努力します。