スキルとセンスに磨きをかける
英語を学ぶときも、プログラミングを学ぶときも、数学を学ぶときも。
重視されるのはいつも「スキル」である場合が多く、
常に「実用的」であることや、「効果的」であることが求められています。
今回は、もちろん「スキル」を身につけることは重視しつつも、「センス」の大切さについて改めて考えてみたいと思います。
スキルを身につけること
例えばテニスだったら「フォアハンドストローク」「サーブ」「バックハンドボレー」など、動きを細分化させそれぞれを強化することができます。
英語でも話す「スキル」や、書く「スキル」に関して、それ相応のトレーニングをすれば、磨くことができます。
プログラミングも「スキル」を磨くためのコンテンツは世の中に溢れかえっています。
最近話題なのは上記にあるProgate(プロゲート)。
書籍を買うよりも「実践」しながら学んでいくことで私たちは「スキル」を高めることができます。
数学や算数のスキルにかんしても、簡単な計算方法の実践や、九九など覚えてしまったほうが早い部分がたくさんあります。
スキル偏重が生みかねないもの
しかし、スキルに偏重してしまうことで
「状況に合わせて、自分のできることを適応させる力」が下がってしまう。
ということが起きてしまいかねません。
なぜその様になりえるのか、考えてみましょう。
成長がわかりやすく計測しやすいということはつまり。。。
スキルを磨くためには、エリクソン教授の研究でわかっている通り
「高度に発達した分野で、次のステップが明確化されている」
ということが重要です。
そしてこれらは計測が可能でなければ即座のフィードバックを行うことは難しいです。
「数値化」が簡単ということは、「目標」が数値を高めることに転換されてしまいます。
例えば、テニスであれば目標であった「スキルを身につけて、試合に勝つ」ことが、「スキルを身に着けて数値を高めること」へとすり替わってしまうかもしれません。
数値を追い求めることは必ずしも悪いというわけではありませんが、
「そもそも何をしたかったのか」
ということが蔑ろにされてしまう可能性が高いです。
センスとはなにか?
センスの語源はラテン語で「sentire」
今も昔も「感じる」ということです。
「あの人はセンスがいい」ということは、一見「才能」という風に聞こえるのですが、「才能」を決めるのはこの「感じる」という力によって表出するものなのではないでしょうか?
センスは私たちの認識から生まれる
認知科学と教育に関係する分野では常にEpistemologyという言葉が出てきます。
日本語に直訳すると難しい「認識論」という哲学の一分野になりますが、
Scientific Epistemologyというと「科学的認識」ということで認識論の研究としては多くを占めているものです。
例えば「Critical Thinking(批判的思考)」の研究をしているダイアナ・キューン博士は、
彼女の著書Education for Thinkingで科学的認識のレベル分けを行いました。
そしてこの科学的認識のレベルは、絶対主義、相対主義を経て、自ら評価することができるようになる段階へと変化してゆくモデルの中で、
問題の原因を複数考える2つの学習研究
「Inquiry(探索)」と「Argument(論証)」が鍵となることを示しています。
認識は、印象を変え、意思決定を変え、行動を変える。
プログラミングも英語も、まったくその全容がわからないままでは、学んでいてもクリアになってきません。
しかし、全容を学んだからと行って実態のない砂上の楼閣になってしまいかねません。
認識(Epistemology)を、より研ぎ澄まされたものとしていく研究はたくさんされていますが、未だに未解決の分野であることは間違いありません。
そして、何を感じ取るかを決めるのもこれらの認識であり、
私達の人間としての「センサー」はちょっとした
「脇道に生えているものには面白さ、偶然性がある」
と捉えているなら、気づくことのできる世界は圧倒的に違うものとなるでしょう。
つまり「マインドセット」の問題になってくるのです。
ただ続けることを目的に、毎日更新しております。日々の実践、研究をわかりやすくお伝えできるよう努力します。