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僕のペナントライフ〜プロローグ〜世界で、もっとも不憫な存在・後編

 残り3イニングで6点差という絶望的な状況から、圧倒的な声援を受けて7回・8回の2イニングで3点を返したホームチームは、7対10のスコアで9回裏の攻撃を迎えた。
 
 まずは、この回の先頭打者ケビン・メンチが、この日3本目となるヒットで出塁する。
(余談ながら、このあとに起こるドラマのような展開よりも、この外国人打者の猛打賞を目撃できたという体験の方が、レア度は高いかもしれない)

 続く葛城かつらぎにもヒットが出たあと、後続の打者はアウトとなり、一死一・三塁から、赤星あかほしがレフト前にタイムリー・ヒットを放って、8対10。
 この頃から球場全体に、チームの追い上げムードを本格的に後押しする雰囲気が出てきた。

 次の平野ひらのは、浅いレフトフライに倒れ二死一・二塁となったものの、続く鳥谷とりたには、鮮やかなライナーで三遊間を破るレフト前ヒットを放って、二塁ランナーが生還。
 スコアは9対10!
 ついに、一点差だ!

 球場のボルテージが一気に上がり、ここで迎えるは打者は、四番の金本知憲かねもとともあき――――――。

 前奏に合わせて、
 
 ♪ 勝利 目指せ オー! オー! タイガース!

という歌声のあと、スタンド全体が、

 わっしょい! わっしょい!
 ワッショイ! ワッショイ!
 わっしょい! わっしょい!
 ワッショイ! ワッショイ! 

という大声援に包まれる。
 僕と祖父が座るバックネット裏のグリーンシートでは、応援用のカンフーバットやメガホンを打ち鳴らす音が内野席を覆う大銀傘に反響している。その凄まじい音量は、きっとグラウンドの選手にも届いているだろう。

 ふと、隣の祖父に目を向けると、メガホンを両手に持ちながら、左手で両足のズボンのすそをたくし上げて、鼻の頭をこすったあと、右手でメガホンをクルンと回す仕草をしている。
 大歓声が銀傘にこだます中、祖父に、

「お祖父ちゃん、ナニやってんの?」

と、たずねると、こんな返事が返ってきた。

「コレはな……掛布かけふがバッターボックスに入る時の仕草や。掛布かけふみたいに打ってくれるように、してるんや。虎太郎こたろうも、しっかり応援せぇよ」
 
 その、冗談とも本気ともつかない祖父の言葉に後押しされたというわけでもないのだが、いつの間にか、僕も周囲の声援とメガホンを叩くリズムに合わせて、声を張り上げていた。

「わっしょい!わっしょい!」
「ワッショイ!ワッショイ!」
「わっしょい!わっしょい!」
「ワッショイ!ワッショイ!」
 
 ドーンドドン「オー!」
 ドーンドドン「オー!」
 ドンドンドンドン!

「カネモト! 広島たおせ〜! オ〜!!」
 
 カープのリリーフ・エース永川ながかわと我らが四番打者の息が詰まるような対戦は、ツーストライク・ツーボール(この当時の日本のボールカウントの数え方は、SBO方式だった)の五球目のハーフ・スイングが、三塁の塁審にスイングなしと判定され、フル・カウントになった。

「お、おぉ〜〜〜」

 という、どよめきがスタンド全体から漏れる。
 そして、間を置かずに、投手は投球動作に入った!

 ツーストライク・スリーボールから、運命の6球目――――――。

 永川が投じた一球は、ホームベースの前でわずかに沈んだように見えた。
 だが、その落ち際をはらうように右手一本で振り抜かれたバットから放たれた打球は、まるでロケット弾が飛び出すような低空の弾道でライト線に弾き返される!

 弾丸ライナーが、ライト線ギリギリいっぱいのフェアゾーンに落ちた瞬間、観客が総立ちとなった。

 ボールが勢いよく外野のフェンスに到達する間に、二塁ランナーの赤星がホームに生還し、同点!
 
 そして、打球に追いついた外野手から、ボールが内野手へ返球される中継プレーの間に、スタートを切っていた一塁ランナーも、ホームベースを目指し、疾風のように駆けてきた。

 中継した内野手からの返球がキャッチャー・ミットに収まるのと、ランナーが、ホームベースに滑り込む瞬間は、ほぼ同時であった。一塁側に身体を寄せていたキャッチャーが、走者の鳥谷の足元にタッチを試みる。
 
 間一髪のタイミングは――――――。

「セーフ!」

 球審が手を広げると、一塁側のベンチからは、選手たちが一斉に飛び出した。

 僕の周りでも、いや、球場のスタンドのほぼ全員が総立ちになって、カンフーバットやメガホンを打ち鳴らし、歓喜に湧いている。

 グラウンドでは、一塁ベースと二塁ベースの間で、サヨナラヒットを放った金本が、ベンチから飛び出した選手たちに揉みクチャにされ、スタンドからは、

「ヨッシャ〜!」

「サヨナラや〜!」

「カネモト〜〜〜!」

という歓声が上がる。
 僕たちの前の席に座るオッチャンが、突然こちらの方に振り向いて、

「やったな〜! お兄ちゃんも小さいのに、良く応援がんばった!」

と言って、メガホンでのハイタッチを求めてきた。
 それに合わせて、僕も

「イェ〜イ!」

と、持っていたカンフーバットでオッチャンとハイタッチを行う。さらに、

「ありがとう〜! 金本〜〜〜!」

という声に振り返ると、学生風の若者二人連れが、僕を見て、

「うお〜〜〜〜! ありがとう〜!」

と、声をかけてきた。
 その声に応えて、僕も

「やった〜〜〜! ありがとう〜!」

と、彼らとカンフーバットでハイタッチを交わす。
 
 そうして、巨大なフライパンの上で弾けるポップコーンのように、スタンド全体から鳴り響く音を沈めるためなのだろうか、自然発生したバンザイ三唱で場内の喧騒は、収束に向かう。
 
 それでも、ペナント・レースが始まったばかりのただの1勝にもかかわらず、まるで、シーズンの優勝が決まったかのようなお祭り騒ぎに浮かされた僕の興奮を止める手段はなかった。

 ヒーロー・インタービューで、スコアボードの巨大なオーロラビジョンに大写しになった勝利の立役者である金本知憲かねもとともあきと、一塁から俊足を飛ばしてサヨナラ勝ちの生還を果たした鳥谷敬とりたにたかしが、僕のヒーローになった瞬間でもあった。

 ※

 その特別な日から、十年近くが経過した頃――――――。
 
 大学に入学してから仲良くなった友人のゆたかに、

「野球ファンなら、この映画を観てみなよ」

と、『2番目のキス』という作品を薦められた。
 その映画の冒頭では、叔父に連れられて、ボストンの野球場フェンウェイ・パークに観戦に出掛けた少年について、ナレーターが、こんな風に語られている。

「ドワイト・エバンスがホームランを数本放ち、(レッド)ソックスが勝ち、その日が終わるまでに、哀れな少年ベンは『神の創り給うた最も哀れな生き物の一つ』――――――つまり……レッドソックスファンになってしまった」

 八十六年もの間、ワールドシリーズに勝利できなかった(野球ファンならご存知の『バンビーノの呪い』というアレだ)ボストン・レッドソックスのファンが、『神の創り給うた最も哀れな生き物』ならば…………。

 球団創設から九十年近くの歴史を持つにも関わらず、

 リーグ優勝:九回(2リーグ分裂後は、七十年以上の間に、わずか五回のみ)
 日本一:一回(球団の歴史が最も浅いイーグルスと並んで最下位タイの回数だ)

の成績しか残せていない、阪神タイガースのファンは、(仏教徒の多い我が国の慣習に照らすと)客観的に見て、

三千世界さんぜんせかいで、もっとも不憫な存在』

と言えるかも知れない。

 なんにしても、転校したばかりの始業式の日に、祖父に連れられて甲子園球場に出掛けた自分には、この映画『2番目のキス』の主人公の気持ちが痛いほど、よく分かる。

 興奮と熱狂につつまれて始まった、への想いが、こんなにもツラく苦しいモノになるなんて、小学四年生になったばかりの僕には、想像もできなかった。

 ・2009年の阪神タイガースの最終成績

 勝敗:67勝 73敗 4引き分け
 順位:セントラル・リーグ 4位

 追記:

 そう言えば、この年の春に飼い始めた子犬に「メンチ」と名付けようとしたのだが、母親と祖父に、

「その名前は、やめとき……」

と、全力で拒否されたことを思い出した(子犬の名前は、結局コジローという普通の名前になった)。
 あのとき、母と祖父が止めなければ、我が家の黒柴犬は、十数年の間、ひき肉を連想させると同時に、

「イケるやん!」
「走る凶器や!」

など、インターネット上でこすられ続ける、微妙な名前で呼ばれことになっていたハズで、やはり、ペットの命名には慎重にならないといけないことを痛感した。

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