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僕のペナントライフ・第2幕・Respect(リスペクト)の章〜⑤〜

 初回に3点を先制したものの、我がチームの先発投手の投球内容は安定せず、得点した直後の2回に早くも1点を失うと、続く3回には、ベイスターズのクリーンアップに2本のホームランを浴び、3対4と逆転されてしまった。

(悪夢のような現実が、そこには待っていました――――――)

 甲子園でのベイスターズ戦で、レフトスタンドにホームランを打たれると、どうしても、このフレーズが頭をよぎってしまう。

 今日の両チームの予告先発が発表されたときから、ロースコアの展開は考えにくく、点を取り合う試合展開になるとは思っていたが……。

「勝っていたのに、相手のチームにリードされてしまいましたね……」
  
 意気消沈するスタンドに、奈緒美さんの声も沈みがちになっている。
 3回裏の同点のチャンスが潰えて、残念そうにつぶやく彼女に対し、半ば励ますように、半ば自分に言い聞かせるように、僕は語りかけた。 

「まだ、試合はこれからですよ! まだまだ、盛り上がる場面もあると思いますから」

「そうなんですね! この球場が、一番盛り上がるのは、どんな場面なんですか?」

 奈緒美さんは、興味津々といった感じでたずねてくる。

「う〜ん、一番盛り上がる場面ですか……?」

 彼女の質問を反復し、しばし考えた――――――。

(甲子園名物だったラッキー7の風船飛ばしは、まだ解禁されていないし……それなら……)

「やっぱり、阪神の選手が満塁ホームランが打った時ですかねぇ? 一気に4点入りますし……」

 僕が、そう答えると、奈緒美さんは、ポンッと手を叩くような仕草をとり、右手に持っていたパチパチバンドが、パチンッと音を奏でる。

「最初のホームランは、3点入ったんですよね? たしかに、一気に4点も入るなら、お客さんも盛り上がりそう……」

 そして、納得したようにつぶやきながら、口元に手を当て、彼女は予想もしない提案をしてきた。

「そんなに盛り上がる場面を見られたら、野球観戦にハマっちゃいそうですね! そうだ、決めました! れにちゃん推しの佐藤選手が満塁ホームランを打ったら、私もう一度、球場に来ようと思います! 中野くん、もし、佐藤選手が満塁ホームランが打ったら、また一緒に野球を観に来てくれますか?」

 サトテルの満塁ホームラングランドスラム――――――?
 そりゃ、当然、スタンドは盛り上がるだろうけど――――――。

 初回にスリーランを打ったバッターが、相手バッテリーのマークが厳しくなる同じ試合で、満塁弾グラスラを打つ確率なんて、どれくらいあるんだろうか?
 
 しかも、3回裏の攻撃は、佐藤の次の打者である6番の島田海吏しまだかいりで終わっている。
 この試合で、佐藤に打順が回ってくる機会は、多くて3打席程度だ。チャンスは、その三度しかいない。

(そんな低い確率に賭けなくても、奈緒美さんと一緒なら、いつでも、甲子園に来るのに……)

 そんなふうに感じたものの、せっかくの彼女からの申し出なので、僕は、奈緒美さんのその提案に乗ることにした。

「いいですね! じゃあ、サトテルの満塁ホームランが出るように応援しましょう! 少なくとも、2回くらいは打席が回ってくるチャンスがあると思うので……」

 そんな会話をしているうちに、4回表のベイスターズの攻撃は終了し、まずは同点を目指して、7番の梅野隆太郎うめのりゅうたろうが打席に向かっていった。

 ※

 4回裏の先頭バッター・梅野は、2球目の変化球をセンター前に弾き返して出塁し、続く8番木浪はセカンドゴロに倒れて、一死二塁。
 ここで、打撃に定評のある9番・西純矢がセンター前ヒットで続き、一死一・三塁とチャンス拡大。
 
 この好機に打順は1番に戻って、近本もセンター前にヒットを放ち、まずは同点。
 試合を振り出しに戻したこともそうだが、どんどんランナーが塁にたまって行くことに、この先の展開に期待して興奮を覚える。

 この場面でベイスターズ・ベンチは先発の平良をあきらめ、二番手投手・三嶋一輝みしまかずきにスイッチ。
 続く2番・中野は、内野フライに倒れたものの、3番・ノイジーが、この回4本目のセンター前ヒットで、ついにすべての塁上が、ランナーで埋められた。

 二死満塁――――――。

 スタンドの声援は、一層大きなモノになる。

(こんなに早く、満塁のチャンスが巡ってくるなんて……)
 
 信じられないような想いで試合を見つめながら、僕は、打席に向かう4番・大山に視線を送って念じていた。

(頼む、大山! 四球で繋いでくれ!)

 二死満塁、しかも、二塁ランナーは、俊足の近本ということもあって、この場面なら、ヒット1本でもランナーは二塁から一気にホームを狙い、2点が入る可能性が高い。
 試合展開だけを考えるなら、2点の勝ち越しは理想的な流れだが、それでは、次の打者のサトテルの打席で満塁というシチュエーションにはならないのだ。

「満塁になりましたね! このまま、佐藤選手に回るでしょうか?」

 嬉しそうにたずねてくる奈緒美さんに、

「期待しましょう!」

と答えてから、気がつくと、僕は無意識のうちに左手でズボンをたくしあげる仕草を取っていた。
 そのまま右足のすそに触れ、鼻の頭をこすったあと、右手ではカンフーバットをクルリと回す。

 それは、僕が、初めてこの場所に来たとき、祖父がやっていた四代目ミスタータイガースのルーティンだ。

「コレはな……掛布かけふがバッターボックスに入る時の仕草や。掛布かけふみたいに打ってくれるように、してるんや。虎太郎こたろうも、しっかり応援せぇよ」 

 もう、15年近くも前になるのに、祖父の言葉が昨日のことのようによみがえる。
 不謹慎ながら、今日は、4番打者の四球を願っているが、どうか許してもらいたい。

 ♪ チャンスだ 振り抜け かっとばせ
 ♪ チャンスだ 振り抜け かっとばせ

 高校野球の応援でも演奏されることの多い『チャンス襲来』のメロディーがスタンド全体に響く中、5球目の高めに浮いたスライダーを見極めた主砲は、悠然と一塁ベースへと歩く。

 押し出しの四球で、勝ち越し!
 
「よっしゃ! 大山、ナイスセン!!」

 得意の早打ちを封印し、今シーズンはハイペースで四球を積み重ねる、頼れる4番打者の選球眼せんきゅうがんの良さに、思わず、チームメイトに掛けるような声がでてしまう。
 
「中野くん、どうしよう! 本当にランナー満塁で佐藤さんに回ってきました!」

 隣に座る初観戦の女性の興奮する言葉に、僕はだまってうなずいた。
 
 そして、チーム1の長距離打者スラッガーである5番打者が、チャンス時の登場曲であるNiko Moonの『GOOD TIME』のメロディーに合わせて、打席に向かう。
 勝ち越しに湧いたスタンドでは、鳴り物が止み、スタジアムには一瞬の静寂が訪れた。

 その静けさの中――――――。

 相手投手が投じた初球。
 ド真ん中のストレートに対し、目に見えぬような速さでバットは一閃された!

 カンッ――――――。

 乾いた音が球場に響き、左打席の打者は、打球の行方を確信したように、一塁ベースに向かってゆっくりと歩き出した。

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