変わることへの恐怖・可能性という世界の心地良さ
私はある特定の宗教や哲学を信仰しているわけではないですが、いろいろな宗教・哲学・思想等、一定の真理が含まれているものに触れると、心の中に多少の拒絶反応が生じているのに気付くことがあります。
それは
『人間(自分)が繰り返し続けてる問題の本質に踏み込んだからではないか。』
『踏み込んでそれを納得してしまうと、自分が変わらざるを得なくなる。』
『今という、多少の不満もありながらも居心地の良い状態から出て、問題や課題に嫌でも立ち向かわなきゃならなくなるから凄く億劫。』
みたいな心理が働いているんじゃないかなぁ〜、なんて昨晩に妄想を広げておりまして。
だから、怪しいなぁといった拒否反応や、何となく不安を感じたりするんじゃないかなと…。(本当に怪しい組織や団体もあるし、絶対的な哲学や宗教が存在しているとは思わない。)
そんな妄想を広げ終わった後に思った事が。これは完全に私の場合ですが…
「いつかこうなる」「何年後にはこれを手に入れる」などと未来の事を想像し綿密に計画して、期待や可能性を膨らますと、とても良い気持ちになります。(無限に想像できるし制限もないから楽しい)
けど、良い気持ちになってモチベーションも上がってるのに実際に行動に移そうとすると「まあとりあえず明日でいいかなぁ」なんて感じで億劫になる。
そんな日が続いて気づけば半年前に強く決心した自分から何にも変わってない。みたいな事がありまして(お恥ずかしい。笑)
前置きが長くなってしまったのですが、この時の心情って
「実際に行動すると描いた目標に対しての『ギャップ』や『距離』を嫌でも実感して、それを埋める為の努力の必要性に気付いてしまう」
だから、可能性の中で気持ち良く生き続ける事を選んでしまうんだろうなと。(目標や夢を語れば周りからもチヤホヤされて気持ちが良いし。笑)
でも考えてみれば、歩き出さないと目的地に一生辿りつかないのと一緒で
行動しないと目標や理想に近づくこともないんだなって。
ハワイに行きたくて四六時中考えていても、航空券を買わない事には辿り着けないですし。ある朝目が覚めたらハワイのビーチに居たなんて事はない訳で…
だからこれからも行動し続けないとなぁと自分を戒めた昨晩の出来事でした。残念ながら今朝目が覚めたら行動力に満ち溢れた自分が居た。という事はありませんでした…。
粛々とメラメラと。
【一日一直感】
これは大切かも!?と寝落ち間際の私は思われたようで、起きたらこのnoteの下書きが殴り書きされてました。
昨日の自分ありがとう。今日もがんばりやす。
ともですっ、最後までご覧頂き本当にありがとうございます^^