ワンピースやNARUTOのような王道漫画は今後生まれないのではという話(デジタル的な観点から考察)

 私はいつかストーリーテラーとして生きていきたいと考えて数年前から趣味で漫画を描いているのですが本当に漫画を描くのは大変なんです!その経験も踏まえて大作王道漫画がもう生まれないのではないかという話をさせて下さい。

 ワンピースやNARUTOというとJUMPの王道少年漫画です。その世界観や話の秀逸さ、キャラクター、アイデア、全てが素晴らしく、公約数的であり大衆の「こういうのでいいんだよ」を体現している作品です。芸術と商業との間を上手く綱渡りしてますよね。NARUTOは終わってしまって今JUMPでやってるのはワンピースですが、ワンピースが終わってしまったらJUMPはどうなるのでしょうか。漫画家の山田玲司さんはYouTubeで、漫画のブームが手塚治虫の新宝島で始まりワンピースという最後の宝船で終わるのではないなんて詩的なことを言ってました。スパイファミリーは3000万部近く売れていますが子供向けですし、呪術廻戦は芥見先生が自身のことを集中力がゴミと評しているように実際に絵が荒々しく、テーマが暗い印象があります。チェーンソーマンはタツキ先生が狂人なので最初から別枠といった感じで、ワンピースやNARUTOといった王道超大作からすると後継がいない状態ではないでしょうか。(居酒屋の野球中継に文句をいってるおっさんを見るような温かな目で見てください)

 ワンピースが始まったのが1997年NARUTOが始まったのが1999年、HUNTERHUNTERもそのくらいです。私は生まれてもいませんが、彼らはドラゴンボールや聖闘士星矢、スラムダンクこち亀などを見て育ったのでしょう。その年代は奇跡のようなもので、高度経済成長期が当たり前でなかったようにワンピースやNARUTOが存在しえたのも当たり前ではなかったのです。

 スマートフォンの登場は漫画業界に大きな痛手を与えました。1990年代は一般的にコンピューターはそこまで普及していません。2001年頃からは半分程の世帯がコンピューターを所持していますが彼らはアナログで漫画を描いていたでしょう。私はアナログとデジタルどちらも描いたことあるのですがアナログは集中できるけど糞めんどくさい、デジタルは集中できないけど楽といった感じです。テレワークと職場で働く違いと同じですかね。(※サンプルは私だけです)
  
  インターネットは人々に夢を与え情報の海を提供しました。そして携帯型パソコンこと、スマートフォンが登場し、それは私が気づいた頃には存在していて高校に上がると同時に親に買ってもらいました。高校では2016頃ですがもう全ての人が持っていて直ぐにクラスLINEのグループが作成されました。私たちのちょっと上、今の26歳くらいからおそらく学生時代からスマホ漬けの人生が始まりまったのです。
東海オンエアとか有名なYouTuberをみんなで見て、陰キャはTwitterで盛り上がり陽キャはInstagramや、TikTokに勤しんでました。これは全国だけでなく世界規模で起こり私たちのエネルギーの多くはインターネット情報世界に向けられることになったのです。ふと友人とこういう会話をします。スマホがない時代って何してたんだっけ?笑 と。

 気づいたときにはSNS、ソシャゲ、サブスクリプション、私たちは娯楽の海で溺死しています。点滴のようにらそれらを摂取する日々でしょう。それらは資本主義の過酷な頭脳競争によってろ過された天才達、屑を摘んで構成された大企業が、私たちにいかに利用してもらえるか試行錯誤して作ったものです。そりゃ依存しますよ。ドーパミンがすぐ出ますし、なによりスマホのユーザビリティの高さが酷いですね。自由意志を剥奪してます。便利というのも行き過ぎると困りものです。

 これらスマホ率いるIT帝国軍は何を破壊したのでしょうか。既存メディアでしょうか。テレビの一極集中、新聞の売上、雑誌の売上、それらは然ることながら私は集中環境の破壊ではないかと考えます。ハーバードサイモンという学者の言葉ですが「豊富な情報は注意の欠如を生みだす」というのがあります。マジでそうです。何かを知るというのは知恵の実を食べるように劇薬なのでしょう。知恵の実がリンゴかは分かりませんがAppleのマークが齧られたリンゴなのもなんか皮肉っぽいですね。笑

 最初にいったとおり漫画を書くのは大変です。週刊連載なんて傍から観たら酷い働き方です。今の時代スマホのインセンティブに負けずに集中して漫画にとりくめる人は昔よりずっと少ないのではないでしょうか。特に漫画は家で描くものですし。さらに、SNS、インターネットは人々を賢くしました。解像度の高くなった現実に人々は足をすくませます。自分より遥かに才能のあってパフォーマンスの高い人が食っていけてない状況が見えてしまう。自分の位置が見えてしまう。夢や無知というベールが隠していた仕事の闇もずっとハッキリ見えます。意志を強くもたないと簡単にスマホに時間を奪われる。スマホをしまっても友人や会社からの連絡がある、デジタルで漫画を描こうとしても背景のインターネットに気を取られる。そんなの、お前の意志が弱いだけと笑う情報のシャットダウン能力が高い人は?変化の著しい時代に対応できず崖に向かってアクセルを踏み続ける可能性も高いですよね。継続と柔軟はトレードオフです。

 漫画だけではないですが人類がまだバカだったから集中できて継続できていたことがたくさんあるということです。今は娯楽、情報が多すぎます。人々に大作をつくるエネルギーも読むエネルギーも残ってないです。実際10巻以上あると辟易する人も多いのではないですか?インプットには自信がある私ですら疲れてきてるんですから。これから私たちはどうなるのでしょうか。ドラゴンボールや今のワンピースのように同世代にだいたい通じる話題がなくなるだけでしょうか。私はもっと恐ろしく悲惨な未来が待っているような気がします。

 あくまでマクロな意見であって、もの凄い強い意志を持って歴史的な大作を作る人が出てくる可能性は全然あると思います。ただ漫画というのは他のストーリーメディアと比べても個人に対するアウトプットの負担が大きく、もともとモチベーションタイプでいうと攻撃型の職業のため好奇心が強く気の散りやすい人が多いので現在の環境下で集中するのは至難の業です。

長々と駄文を申し訳ございません、エネルギーが分散するこの時代に私たちは変わらざるをえないでしょう。大規模な構造改革が必要だと思いますが多分それすら10年経ったら使いものにならない、そんな変化の著しい時代になるでしょう。大袈裟な終わり方になってしまいました笑

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