日本歴史史上最もカッコいい男。その生き様はロックスター
これは失敗が怖くて挑戦できない挫折することが怖いというあなたにとって有益な情報が詰まった記事かもしれません。
つまらない人生を面白く愉快にする方法を学べますので気になる方はぜひ最後までご覧ください。
本記事は高杉晋作から学ぶ「覚悟の磨き方」というのがテーマです。
あなたは知っていたでしょうか?
高杉晋作って、今では風雲児や革命史ともてはやされていますが、 周りの仲間からプライドの高い口だけ男と呼ばれていたことを。
晋作は若き日、様々なことに挑戦しますが挫折をし、苦汁を味わいます。
海軍を志望し船に乗るも船酔い体質。ならば、長州では際立っていた剣で勝負しようとするも強豪たちにはことごとく敗北。
しかし、後に晋作は明治維新の英雄として歴史に名を刻むほどの男になります。
果たしてなぜ晋作はこれほどの男になれたのでしょうか❓
ここからは2つのテーマに分けて晋作から学べることを述べます。
1.志を定め心を見つめよう
晋作の師匠・吉田松陰は日本は一丸となり外国と戦うべきだという攘夷論が幕府に受け入れてもらえず、斬首刑30歳という若さでなくなります。
晋作は松蔭のあまりにも無惨な死涙を流しながら「師の想いを我が物」にと日記に記しています。
晋作は考え着いたらとにかく行動する男でした。
しかし、脱藩したものの、「お前は何勘違いしているんだ⁉️」と親や先輩に諭され、「すみませんでした」と中坊のように長州に帰ってきてしまいます🥲
仲間たちはいつしか晋作のことを「お前は口だけ男」と言うようになってしまいました🙃
この時、晋作はこう日記に記しています。
先生の仇は必ずとる。しかし、長州に逆らうことも心苦しい我が身は我が身のようで我が身ではない。
この日記からは「国のために尽くしたい」という武士としての思いと「このままでは日本が占領されてしまう」という日本人としての危機意識が入り交じり、人一倍苦しんでいる印象を覚えます。
晋作は、かつて師には「字を書けるような行いをしているのか❓」と散々言われ、傷つくこともあり、酒に頼る日々が続きました。
しかし、同時に松陰のある言葉が晋作を突き動かします。
死して不朽の見込みあらば
いつでも死ぬべし
生きて大業の見込みあらば
いつでも行くべし
これは松陰が投獄されている時、晋作に向けて送った手紙に書いてあった言葉でした。
この言葉の意味を簡単に言ってしまえば、
人間が生きる意味は自分の掲げた志を成し遂げるためである。
志がない人は死んだも同然なのだ、と。
この言葉を胸に晋作は「自分はなんのために生きるのか?」をずっと考えてきました。
そして、晋作は22歳の時、憧れの国であった清を視察する、初の海外体験のチャンスが舞い込みます。
しかし、そこで目の当たりにしたのはアヘン戦争に敗れ、貧しい生活を送る清国民の姿でした。
民衆はまるでイギリスやフランスの奴隷のようでした。港にはイギリス🇬🇧やフランス🇫🇷の船だらけ。
そこに未来の日本を予感した晋作は、日本を護り平和に導くという志を固めるのです。
2.覚悟を決める。
晋作は3度目の脱藩を決意し、倒幕に向けて奔走します。
志を定めた晋作でしたが、またも脱藩するも、すぐに捕まり、投獄されてしまいます。
これには晋作も肩を落とします。
しかし、そこはかつての師である吉田松陰が入れられていた野山獄という監獄でした。
晋作の日記にはこうあります。
先生を慕うでようやく野山獄
晋作は長い長い時間の中でリアルな死を見つめ出します。
人間は死を間近に感じると、これまでの行いを悔いる傾向にある。
これはスティーブ・ジョブズが毎朝、鏡を見て「今日が人生最後の日ならどうするべきか?」と考えていたのに似ている気がします。
晋作もまた日記にこう記してします。
呆然と生きてきたことが今となっては恥ずかしい
静かに座って将来を想う晋作は、この時間を利用し、普段全く読まなかった本に触れます。ありあまる時間を読書に費やし、深く考えると自然と心の病が癒される。
こんな薬があったのか、俺はこの薬をあと10年早く知りたかった
と書いています。
そして、遂に晋作は野山獄を出ます。
その頃、長州藩は江戸幕府に対し戦おうとする倒幕派と、幕府に従うべきだという恭順派で真っ二つに割れ、身動きが取れない状態でした。
ここで晋作は覚悟を決めます。
晋作は「俺一人でもやる‼️」と幕府に戦いを挑みます。
そこに集まった兵士は、たったの84人!
これが有名な「奇兵隊」です。身分を問わず兵を募ったらこんな結果に、、、
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