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大分市明野地区の歴史研究(7)解体された社宅・社員寮1 明野東新日鐵社宅
造成から50年、新陳代謝が進む土地利用
明野団地造成当時である昭和40年代に建設されたいわゆる社宅(コンクリート造で3~5階程度の家族向け住居)や社員寮ですが、地区内各所で90年代後半より一部が解体され始めマンションや戸建て住宅への転用が進んでいます。
近年は ”社宅文化” そのものが無くなりつつありますが、全国を転々とする転勤族の場合は戸建て住宅を買うわけにもいかず、社宅は必要不可欠ともいえま
大分市明野地区の歴史研究(6)明野地区の旧 ”小字”・公園名に残る小字名
「明野開拓十年史」に記録されていた旧”小字”名を探る
まず、小字名とは何かというと住居表示が未実施の地域で ”大字” の後に付く小単位の地名です。
【住居表示実施地域】(例)
大分市明野東6丁目1番1号
【住居表示未実施の場合】(例)※小字無しの場合もあります
大分市大字東明野字大谷2601-1
小字に関しては通常の地図には殆ど記載が無く、位置の特定が難しく
大分市明野地区の歴史研究(5)大分臼杵線の改良工事(加納~明野南)
県道21号線 大分臼杵線 改良の歴史
現在でも大分県内でも有数の道路渋滞の名所です。
明野南から大分市街に向かう大分臼杵線は明野団地の入居が始まっても狭い旧道だったようで、その後平成元年(1989年)頃から事業開始の工事の後、大分市街方向が2車線へ拡幅され現在の姿になっています。
県道21号線 大分臼杵線 旧道の様子
加納から登ってくると何度もカーブを曲がりながら、松女ヶ迫隧道(まつめがさこ
大分市明野地区の歴史研究(4)明野アクロスタウンの変遷
何度か増床・拡大を続けた明野アクロスタウン(トキハインダストリー)
明野地区の中心部には明野アクロスタウンとしてショッピングセンターが営業しています。
なお、以前は トキハインダストリー東明野店(アテオ東明野店)とトキハインダストリー西明野店(アテオ西明野店)が存在していましたがいずれも2000年代初頭に、周囲の店舗と共に閉店しました。
※wikipedia「あけのアクロスタウン」より引用
大分市明野地区の歴史研究(3)旧町村と大字、地名について
明野地区が造成される前の町村
明野地区の歴史について紹介される際「元々明治村猪野の一部であった」と紹介されることが多いのですが、実際には明治村以外の複数の町村にまたがっています。
以下のページで 1914年(大正3年)の地形図を見ることが出来ます。
リンク
旧町村の境界を赤でトレースすると、複数の町村に跨っていたことがわかります。
町村の変遷
現在の大分市域は、平成の大合併 2005年(平
大分市明野地区の歴史研究(2)国土基本図から
1970年代に作成された国土基本図1/5000 国土基本図に関しては現在でも1図あたり1,031円(税込)で入手可能です
大分市周辺では測量年 1966(昭41)のものが発行されており発行範囲は以下の通りとなります
なお、1963年(昭和38年)3月10日 に鶴崎市は合併し、新大分市となっている為、明野地区の範囲は「大分市大字明野」であった頃の地図となります
※大字明野 昭和32年(195
大分市明野地区の歴史研究(1)
街が完成して早くも50年を超えましたが、記念事業として
つい最近になり大分市のページで各種資料が公開されています。
明野地域 | 大分市デジタルアーカイブ 〜おおいたの記憶〜
公開されている古写真の例(同一地点との比較)
大分市デジタルアーカイブでは各種写真が公開されています。
たとえば明野南交差点付近では拡幅前の県道21号大分臼杵線のアーカイブス写真を確認することが出来ます。
各種資料