大分市明野地区の歴史研究(5)大分臼杵線の改良工事(加納~明野南)
県道21号線 大分臼杵線 改良の歴史
現在でも大分県内でも有数の道路渋滞の名所です。
明野南から大分市街に向かう大分臼杵線は明野団地の入居が始まっても狭い旧道だったようで、その後平成元年(1989年)頃から事業開始の工事の後、大分市街方向が2車線へ拡幅され現在の姿になっています。
県道21号線 大分臼杵線 旧道の様子
加納から登ってくると何度もカーブを曲がりながら、松女ヶ迫隧道(まつめがさこ ずいどう)・ボラヶ迫(ぼらがさこ ずいどう)を通過し現在の明野南交差点へ至った。
旧道は一部が現在も残っているが、下郡側から進むと途中から会社の私有地となっているようで通行は困難。
また、明野側は現道との接続部分は土砂崩れにより廃道。
(1990年代半ばまでは通行可能であった)
※旧道の隧道名は、大字下郡の小字名に由来していると思われる
→字松女ヶ迫、ボラヶ迫(字ボラケ迫)
※読みは「豊後国荘園公領史料集成 5 下 (豊後国稙田荘・津守荘(勾保)・判田郷・戸次荘・丹生津留畠地・高田荘・毛井村・大佐井郷・小佐井郷史料)」を参考にした
開通後、15年ほどは片側1車線だった
昭和49年(1974年)から平成元年(1989年)時点まで15年ほどはこのような道路状況で、この後拡幅工事が着手されることとなります。
なお、現道から旧道への入口から先は土砂崩れにより廃道となっているが1990年代半ばまでは通行可能であった。
歩道が縁石部分で途切れているとおり今でも痕跡が残っている。
(Googleストリートビューより)
入口が埋められ、緑で覆われている現在のボラヶ迫隧道(明野側)。
2024年現在残っているこの隧道の構造物も今後の ”庄の原佐野線【下郡・明野工区】”の工事で消滅する可能性が高い
(Googleストリートビューより)
明野南交差点角に残る記念碑(?)
明野南交差点の北東角には昭和45年(1970年)改良工事完成記念碑が設置されています。
加納~明野南の開通が昭和49年(1974年)という事なので、それよりも先に改良工事が終了していたようです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?