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誰も知らない「お弁当クラブ」の話

「お弁当クラブ」と呼ばれる者たちが居た。そのクラブは我が強豪バレー部の中に密かに存在していて、公にされることはない。

お弁当クラブの朝は早い。遠征先で先輩やレギュラー陣よりも早くネットを張ったり、ボールなどの用意をする。大切な仕事だ。

その後は応援、ボール拾い、点数板めくり、ビデオ撮影と、課せられた仕事をこなしていく。そして昼どき、満を持して彼らの出番が来る。

そう、お弁当を食べるのだ。ある時はほっともっとののり弁当を、またある時は塩から揚げ弁当を。口いっぱいに脂質と糖質をほおばる。バレーボールを全くしていないのに、お弁当を黙々と食べる。

こうして、遠征などの出先で出場機会が全くない者たちは、部内で「お弁当クラブ」と呼ばれた。あまりに不名誉で、皮肉で、キャッチーな名称だった。

お弁当クラブには先輩も後輩もない。学年を超えてお弁当クラブは公平で、お互いの気持ちが手に取るように分かる間柄だった。試合に出ない分エネルギーの消耗をしないため、レギュラー陣に対しての後ろめたさが同じだけあった。でも何もしていないとは思われたくなくて、雑用を懸命にこなした。そんな機微な感情を共有できるのが、お弁当クラブだ。

驚くことなかれ。そんなお弁当クラブからも、脱する方法がある。それは、試合に出場することだ。

だがこれは明快にして困難。それが果たせないのがお弁当クラブたる由縁。2メートル43センチのネットからほとんど手も出ない僕が、試合に出してください、とは言えるはずもない。練習試合だろうと、相手も強豪。1試合たりとも遊びではないのだ。

そんなお弁当クラブが出場できる切り札がある。ピンチサーバーだ。

ピンチサーバー
バレーボール競技において、ピンチ(あるいはチャンス)の場面に、サーブを打つ選手と交代で出場する者。サーブ力の高さだけでなく、チームを鼓舞することも重要。

本番の試合ではそうもいかないが、練習試合であれば出場機会のない選手が「次のサーブで交代させてください」と言えば、監督が拒絶することは殆どなかった。

このピンチサーバー制度を利用することが、お弁当クラブから脱却して真のバレーボール部員になれる唯一の黄金の道。まさにブレイブ・メン・ロードだった。

これは僕だけではなくて、他のお弁当クラブのメンバーも同じ状況であった。バレーボールの基礎能力がレギュラー陣とかけ離れている者たちが、ひとコマだけ競技を成り立たせるたった1つの方法だ。

ここで諸君は大きな疑問にぶち当たるだろう。「なぜ、ピンチサーバーという方法があるのに、試合に出ないのか」と。試合に出られるのであれば、出ればいいじゃん、と。

これはお弁当クラブに対する初歩的な認識違いがある。具体的に言えば、ピンチサーバーというものも、簡単には出場できない理由があるのだ。

ピンチサーバーの申し出を、監督が止めることはない。カギは他の部員が握っている。レギュラー陣からの「なぜお前がこの場面でサーブだけ出るのか」「ひとコマだけ出場して”頑張っています感”を出すな」という視線と圧力に耐え、更に効果的なサーブを打ち、レシーブもしなければならない。とんでもない緊張感に晒されるポジションなんだ。


もうここらでお気づきかもしれない。僕は、このチームメイトからの圧力に恐れおののき、お弁当クラブとして過ごし続けていたのだ。


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何人ものお弁当クラブ仲間がこの緊張感を破ってピンチサーバーで出場し、残り少ないメンタルを粉々に打ち砕かれた。カイジだったら鉄骨渡りに挑んで落ちているようなものだ。サーブがアウトになる者もいれば、緊張のあまりネットに届かない者もいた。こういう「やらかし」をした後は決まって「フライング」と呼ばれる腹這いで体育館を床拭きするような罰に自主的に取り組むことになっている。この体育館の誰にも見られていない空間でフライングをしつづける仲間を見れば見るほど、僕はピンチサーバーで出ることが出来なかった。弱い自分に、立ち向かえなかったのだ。

1人のお弁当クラブメンバーが居た。彼の名はシューイチ。顔はモアイ像に似ている。彼は出身の中学ではエースだったが、この強豪校という別世界へ足を踏み入れてからは、出場機会がなかった。

忘れもしない暑い日の夕方。もう暗くなるような時間。彼は強豪校との練習試合で、ピンチサーバーでの出場、すなわちブレイブメンロードを渡る決意をした。

「行ってくる」

勇気を振り絞って出場する彼を、僕は空虚な目で追った。無理なのに。それをやっても、レギュラーになれる訳じゃないのに。お弁当を食べるこの日々は、なんにも変わらないのに。

彼は両腕を掲げてコートに入る。レギュラー陣は彼をあしらって、すぐに視線を相手に向ける。彼らに、シューイチの姿は見えているんだろうか。シューイチの一世一代の勝負は、彼らにとって、何の意味も持たない。この激戦の最中に、全く違うものと闘っているシューイチのことなんて、分かりえない。

シューイチは大きな掛け声ひとつして、普通のサーブを放つ。相手に効果的なサーブだったとは言えない。レシーブをする機会なく漫然と出番を終えた。その間、10秒ほどだ。

このエピソードが記憶に残っているのは、僕がお弁当クラブだったからだろう。そのくらい平凡で、ありふれたワンシーンで、この日本中で腐るほど見ることができる部活の光景だと思う。でも僕は、戻った彼を見て、心が大きく震えた。

彼の目つきが、変わっている。

そこには、もうお弁当クラブ同士で傷を舐め合っていたような雰囲気はない。別にバレーボールとして大きなプレーを成し遂げたわけじゃない。でも彼は。シューイチだけは、他の誰と比べるわけでもなく、今朝の自分に、たった今、打ち勝ったのだ。

夜。長い長い練習試合の1日を終えた夜。そのブレイブマンは「またピンチサーバーで試合に出たい」と言った。出場機会の多い部員たちは彼を笑った。「志が低い」「ピンチサーバーでいいのかよ」と。でも彼は気にしていなかった。僕はその姿が凄まじく格好いいと思った。彼は自分よりもずっと先にいる者に笑われている。でも、そういう物差しで測れる問題じゃないんだ。彼は前に進んだんだ。本人はそれを分かっている。だから言い返さない。いつもみたいに微笑みを返している。彼の心に、大きな芯があるのが見えた。

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僕は今、離島で地域の人のチャレンジを支える仕事をしている。ある人は起業につながるかもしれないし、ある人は仲間づくりをするかもしれない。

相談に来てくれる人の決意に満ちた目を見たとき。やってみたいことを話してくれた時。そんな時、僕はあの、お弁当クラブを思い出す。ピンチサーバーでも試合に出たい、と言ったあの勇者を思い出す。僕はお弁当クラブで居続けるという大失敗の選択をしたけど、その代償に、最初の一歩を踏み出せない人の気持ちが分かる。勇気を出して、何かを始めようとすることの凄さが分かる。


「やってみましょう。やってみなきゃ、始まりませんから」


そう言って僕は、今日も美味しく特のりタル弁当を頬張る。


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