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料理

 自炊って時間がかかるし洗い物もしなきゃいけないし、結局面倒じゃない?私も時々そう思う。でも、一度調理を始めてしまうと、幸福感というか、満たされるような気持ちになることに気づく。完成したら、その満足感で、もう腹二分目くらいは埋まっているような感じだ。もしも、1か月の食事がすべて外食なら、おいしい食べ物をたくさん知ることができて楽しいかもしれない。でも、外食は案外満たされない。誰かと外食をするならまだマシだが、一人での外食は、胃袋だけが満たされる。食べ物にお金を出すにしては割高なくせに、一人での食事の場合は、満たされない。記憶にもあまり残らない。外食はあくまでも、料理ができない時の「生存」の手段であり、「生活」とは違うなと感じるときがある。

 私は高校を卒業するまで、ほとんど料理をしたことがなかった。大学に入ってから、食費を少しでも節約するために料理を始めた。いわば「生存」するためのレシピがほとんどだった。限りなくコスパを追い求めたレシピを検索して、それを試す日々だった。でも私は面倒くさがりの鬼だったので、結局はレトルトカレーが一番簡単だし費用対効果もいいじゃないか、などと考えるようになっていた。でも、これはやっぱり、ただ生存しているだけである。いや、生存できているだけでもありがたいのだが、精神的な満足を求めている自分がいる。

 現在の私は大学を卒業して2年以上が経ち、働いている。さすがに今は、コスパを追い求めたような料理ばかりしているわけではない。特段、料理上手でもないし、手際もそこまでよくない。正直に言うと、2年ほど前からTwitterに料理の写真をアップし始めたところ、いろんな人から「いいね」をいただいて嬉しくなり、料理へのモチベーションが保たれている。

 でも、最近は、料理をしたからってすべてのものを写真に撮ってTwitterにアップロードしているわけでもない。自己承認欲求を満たしたいときにアップロードしている(たぶん)。ほとんどの場合、作り慣れたレシピをぐるぐると周回するだけなのだが、ときどき新しいものに挑戦する。新しいレシピに挑戦して、自分の選択肢が広がったとき、何とも言えない嬉しさがある。時には、冷蔵庫の中に限られた食材と調味料しかなくて、何となくの経験則で即席レシピを試すこともあるが、これが上手くいったときの喜びは大きい。

 恋人と家でご飯を食べるときに、やっぱり料理が少しでもできると嬉しい。何より喜んでもらえたときに、私もとてつもなくうれしい。お酒に合うものを作れるようと、お酒を飲む2人の時間も、喜びに満ちたものになる。もちろん、作られたものを一緒に食べるのも楽しいし好きなのだが、作ったものを喜んでもらえる瞬間は、何にも代えがたい。だから来週は恋人と家で楽しくご飯を食べてお酒を飲もうと思ったけど恋人いないんだった(おわり)


※「私は精神的な満足なんて追い求めていない!生存しているだけでもありがたいと思え!」と思っていらっしゃる人もいると思う。その場合、ひとつだけ言っておきたいことがある。こんな記事を読む暇があったらさっさと飯食って寝なさい。

noteを読んでいただきありがとうございます。よろしければ、暇なときなどにまた見に来てください。もし何か、考えたことなどがあれば、感想をお聞かせください。そこから少し、楽しいコミュニケーションが生まれたらうれしいです!