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YS 2.52 プラーナーヤーマ4: だからきっと、これはエネルギーの話

ヨーガ・スートラを有名たらしめるのが、ヨガのゴールを目指す8段階を記す八支則。ヤマ、ニヤマ、アーサナときて、今回は4つめのステップ、プラーナーヤーマーについての4回目です。
ヨガインストラクターのもえと申します。どうぞよろしくお願いします。

※前回は、こちらの「YS 2.51 プラーナーヤーマ3: 自然と起こる」からどうぞ。


ヨーガ・スートラ第2章52節

ततः क्षीयते प्रकाशावरणम्॥५२॥
tataḥ kṣīyate prakāśa-āvaraṇam ॥52॥

その結果、内なる光を覆い隠していたヴェールが破壊される(2)

さて、プラーナーヤーマの最終回は、プラーナーヤーマのもたらす恩恵について。このスートラから、そこには光があって、それは覆われているという前提があることが分かります。そこから見ていきましょう。


光とは

光とは何か。インテグラル・ヨーガ[パタンジャリのヨーガ・スートラ](参照2。以下、インテグラル・ヨーガ)は、「われわれの基本となるものは〈自己〉である」とし、その基本はけっして破壊されず、変わるのは外見だけだと書いています。そして、その基本が内なる光だということ。

これは、いままでヨーガ・スートラを読んでいれば、その〈基本〉が指し示すのは、真の自分とか、プルシャとか、そういうものだということが知識としてすでに知っていることかと思います。では、ここでなぜ光としているのか。それは、サットヴァの性質であることをまずは目指すことからではないかと、ハリーシャ(参考3)は解説しています。


覆うものは

ハリーシャの解説を、引き続き読んでいきたいと思います。

この世界はサットヴァ・ラジャス・タマスという3つの自然の性質(グナ)でできているというヨガの世界観があります。この話については、下記記事の中ほどをご覧ください。とにかく、そういうことなんだそうです。

正確には、インテグラル・ヨーガのいう基本を、ハリーシャは心(mind)と呼んでいるので、本当の自分やプルシャの、もうひとまわり手前の話をしているのだと思いますが、その心の本来の状態は、サットヴァであるということ。光や明瞭さの性質をもっているということ。

その心が、激しさや強さという性質を持つラジャスや、重たさや怠慢さという性質をもつタマスに覆われてしまっている。だから、プラーナーヤーマによって、それらを消滅させることによって、それがもつ本来の光が輝きだす。


覆うものの表現が、解説によって違うのが面白いなと思ったので、紹介したいと思います。

インテグラル・ヨーガは、その覆うものを糸でできたヴェールだと表現しています。そのヴェールに織り込まれた糸は〈思い〉であり、プラーナーヤーマの練習によって一本一本抜いていくのだといいます。

フォーチャプターズ オブ フリーダム(参考1。以下、フォーチャプターズ)は、その覆いを知識の覆い(the covering of knowledge)と表現しています。必要であるように思う知識は、インテグラル・ヨーガが書くところの基本を覆い隠してしまう、いずれ不要になって消滅するものとして書かれています。

これは、フォーチャプターズの解説ではたびたび登場する考え方ですが、ヨガが目的とするところに到達するには経験が必要で、知識は補助にしかならないといいます。そのため、知識は覆いでもあるということ。


今回のスートラのいうところをイメージするときに、どの表現が一番しっくりきそうでしょうか。そして、この3つの交わるところはどこにあるでしょうね。


だから呼吸とか肺の話ではない

ここであらためて、以前のスートラで、プラーナヤーマは呼吸とか肺の話ではないというところに戻ってみたいと思います。

ヨガではプラーナという生命エネルギーがあるのだという、その話を聞くと、分かるような分からないような、人によっては胡散臭いなと感じる方もいるのではないかと思います。分かる。でも、ここまで読んでくると、腑に落ちる感じがしませんか。


プラーナヤーマのいい練習ができたとき、身体に意識を戻して、呼吸をなじませて、目を開けたとき、外の世界が少し明るくクリアに見えることがありませんか。外の世界を見るとき、わたしたちは自分の内側を反映させているわけです。そうであれば、内側が明るくクリアになっているということ。それが理由だよといわれて、そうかもしれないなと思う。

また、そうであるならば、そこに明るさやクリアに見せない何かがあったということ。それを消滅させる、少なくとも遠くにおいやるのは、それはやっぱり肺とか呼吸ではないだろうなと、思いませんか。フィジカルをきっかけに、何かエネルギーのようなものが動いていると思うのが、妥当かなと思います。どうでしょうか。


そう書いてあるからそうだろうと、うのみにするのではなく、ヨガがそう言っているよということを、練習を通して、自分が体感できるかどうかを大事にしたいよなと思います。

そして、プラーナヤーマの練習は、そんなに難しくないわけです。そして体感しやすいから、だから瞑想のクラスにはあんまり人がこないけど、アーサナとかプラーナヤーマのクラスには人が来るよねと、いつもは硬派な解説のフォーチャプターズが書いております。


だから、やろう。というか、知ったらやりたくなりませんか。


わくわくしたところで、次回がプラーナヤーマの最終回です。どうぞお楽しみに。また来週、ここでお待ちしています。


※ 本記事の参考文献はこちらから
(2022/7/7 加筆・修正)



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